52)妙法蓮華経と摩訶大将棋

中央に最強の5駒、奔王,狛犬,師子,酔象,玉将が並ぶ。
中央に最強の5駒、奔王,狛犬,師子,酔象,玉将が並ぶ。

3月の摩訶大将棋ワークショップにて、狛犬の居喰いを実戦で始めて試しました。狛犬の居喰いについては、投稿44)に居喰い師子との関連で少し書いています。狛犬が師子と同じくらい強力な駒だったことで、摩訶大将棋はさらに面白くなりました。それと、摩訶大将棋の成立背景がぼんやり見えてきたこともうれしかったです。


摩訶大将棋特有の駒として、5つの踊り駒、羅刹・力士・狛犬・金剛・夜叉があります。中央に横5つ並ぶ、強い踊り駒の集団として今までは見ていましたが、どうもそうではないようです。右図の中央、縦に5つ並んだ、奔王・狛犬・師子・酔象・玉将の駒がひとくくりのようです。狛犬が師子と同じくらいの強さだとしますと、この縦のつながりは非常に自然です。2つの王(酔象・玉将)の上に、奔王・狛犬・師子と最強の駒が並んでいます。狛犬は思っていたよりももっと強かったわけです。


この中央の5つの駒の両側に金剛と力士の駒があります。お寺の門のところに並んでいるとおり、つまり、守護神です。そのさらに外側に、羅刹と夜叉がいます。


ここからが妙法蓮華経との関連です。
十羅刹女(10人の羅刹女:女性の鬼神)と鬼子母神(夜叉神に属す女神)は、どちらも妙法蓮華経の守護神ですが、十羅刹女が羅刹の、鬼子母神が夜叉の駒だとすると、この2駒は妙法蓮華経が起源かも知れません。金剛・力士と同じく、中央の5つの駒を守っているように見えます。5つの駒を、妙法蓮華経の5文字に見立てたという可能性もあるのでしょうか。


最近、日蓮とその弟子たちの書物を読んでいます。御義口伝という書物、日蓮の直弟子である日興が書いたものとされますが(*1)、その冒頭付近に次のような記述がありました。


「妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり」

この記述は、無明(成ると法性)の駒そのものを表現しているように思えます。また、続いて次の記述があります。

「蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり」

こちらの方は、提婆(成ると教王)の駒をあらわしているかも知れません。因果一体なり、つまり、提婆がいてこそ法華経(教王=経王)が成立したということかと。無明と提婆の2つの駒で、妙法蓮華を表しているような感じです。この一致をどう見ればいいでしょう。御義口伝が摩訶大将棋の説明のようにも思えてきます。

 

本稿、長くなりそうです。ここで一旦区切ります。日蓮の書いた文章を全部読むにはまだまだですが、少し読んだところでは、師子がよく登場します。この点も含めていろいろな点から、現時点では、摩訶大将棋は妙法蓮華経の将棋だと感じています。

 

*1)御義口伝は、1300年までには成立しているはずですが、Webで検索する限り、御義口伝が偽書である可能性がかなり高いらしく、成立は室町時代になるとのことです。ただ、摩訶大将棋との関連を考えた場合、記述の一部は、13世紀に書かれていた可能性があるかも知れません。素人の私からは何も言えませんが。仮に室町時代の成立だとすれば、摩訶大将棋が御義口伝の一節と同じ教えをすでに具現していたことになります。摩訶大将棋が先か、御義口伝が先か、いずれにせよ、摩訶大将棋は日蓮宗の高僧が作った可能性が大きそうです。もちろん、日蓮の教えを摩訶大将棋の比喩でもって広めるためです。日蓮本人が摩訶大将棋を創案した可能性もあるかもです(言いたい放題すいません)。

 

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コメント: 6
  • #1

    長さん (水曜日, 24 4月 2013 10:36)

    このページ、真偽コメント控えます。
    近世以降の日蓮宗はその大衆団体をも含めて、南無妙法蓮華経
    と唱える事にも象徴されるように、御義口伝等は、偽経と断言
    するので有名な、宗教団体の系列かと理解しています。
    摩訶大将棋が日蓮本人の作と言う御説は、私には否定する根拠
    が有りませんが、その宗派系の信者の方々の前では、余り大声
    では発言しないように、個人的には気を付けようと思います。
    仏教徒には、アメリカのボストンに住む、イスラム原理主義の
    ような方は、現代日本に於いては、余り居ないようだと理解は
    していますが。

  • #2

    kazu (水曜日, 24 4月 2013 22:40)

    駒の初期配置を分解して見ると、色々な発見がありますね。
    何故この駒がここにいるのか等から、新しい発想が生まれてくる可能性がありそうです。
    最近は前2列目の走り駒の並びに少し疑問を持っています。

  • #3

    T_T (水曜日, 24 4月 2013 23:06)

    コメントありがとうございます!

    長さんへ
    本稿の件、義経ジンギスカン伝説のようなものとお考えいただけたらと思っています。ところで、日蓮が摩訶大将棋の制作者だったとすると(または、制作者でなかったとすると)、なぜ問題になるのでしょう。そのあたりよくわかっておりません。御義口伝の引用の方が問題だったのでしょうか。

    kazuさんへ
    ほんとそうですね。狛犬という言葉の、現代のイメージで連想してしまっていましたが、鎌倉時代は、獅子も狛犬も同じものを指していましたし。どちらも伝説の神獣です。ところで、走り駒の並びの疑問点の件、どの駒でしょうか?

  • #4

    長さん (木曜日, 25 4月 2013 08:27)

    御義口伝の引用の方だけが問題の不思議な、法華宗一定領域世界の
    習慣・作法だと認識します。そもそも、論文を他人が書いたように
    偽称する、研究者や大学の先生、中世法華宗の坊さんとちがって、
    あんまりいないと思う。

  • #5

    T_T (金曜日, 26 4月 2013 00:04)

    長さんへ
    再度のコメントありがとうございます!!

    ただ、再々度のコメントお願いできませんでしょうか。御義口伝が問題であることはわかりましたが、本稿で書いたうちの何が問題なのかが、まだよくわかっておりません。#1と#4のふたつのコメントを合わせ読みましても、あまりわかりませんでした。

    ここでは、宗教に関わる内容の議論はしていません。無明と法性が一体だという文章が古文書にあって、その言葉そのままの駒が摩訶大将棋にあって・・・ということを書きたかったのですが。

    御義口伝の中にあるいくつかの一致を、どうお考えになられるでしょうか。たまたま、御義口伝が日蓮宗の書物だったので、日蓮宗起源を考えているわけですが、同じ文脈をもし方丈記に見つけたとしたら、鴨長明と摩訶大将棋の関連を考えていたと思います。

  • #6

    長さん (木曜日, 02 5月 2013 17:06)

    法華宗関連者が摩訶大(大)将棋将棋の作者だと言う事は、
    充分にあると私も思います。特に文書の出所の、曼殊院
    関係者。怪しいと思いますね。しかし、これ以上絞るには、
    文献の内容だけでなく、日蓮宗関連では特異的に、本当に
    その文書を作成したのが、その人物なのか、とか、記載さ
    れたその行為を、本当にたとえば日蓮がやったのかが、
    問題になる特殊世界と、当方は、理解していると言う事です。