65)延年大将棋:CEDEC2013の第1日目

CEDEC2013の第1日目が終わりました。たくさんの方に見ていただきました。また、いろいろとお話おうかがいしました。ありがとうございます。


今日は、朝に来ていただきましたUさんから、延年大将棋のことを教えていただきました。延年大将棋のことは、たぶん今回のCEDEC最大の収穫になりそうです。

ありがとうございます!


象棊纂圖部類抄の大将棊畧頌、最後の1行は次のようになっています。
軍兵三百五十四 是名延年大将棊


読み下し文は、
軍兵三百五十四アリ 是レヲ延年大将棊ト名ヅク


後世の書物の説(紛らわしいので泰将棋にした云々)を受け入れるのではなく、延年大将棊と呼ぶべきでしょう、というのがUさんの考え方です。全くそのとおりだと思いました。そもそも、はっきりと古文書の中に、延年大将棊と名付ける、こう書かれているわけで、354枚の駒を使うこの将棋の名前は、延年大将棊(えんねんだいしょうぎ)でいいのではないでしょうか。


本稿では、以下、ひとまず、泰将棋と呼ぶことにします。延年という語句がつけられていたことで、泰将棋はボードゲームというよりは、どうも長生きのお祝い、長生きのおまじない、という色彩が強かったかも知れません。太陰暦の1年(12か月)の日数354と同じ数の駒を、大将棊畧頌(だいしょうぎりゃくしょう)を吟じつつ、並べている、こういう風景をいま想像しています。


古文書はきちんと読んでいるつもりでいたのですが、あまりきちんと読めていなかったということがわかりました。大将棊畧頌は、並べ方だけだから、と重要視していませんでしたが、いま読み返してみると、冒頭には、


提婆無明玉左右(提婆ト無明トハ玉ノ左右ニアリ)


とあります。ただし、泰将棋の初期配置の図では、玉将ではなく、自在王が置かれています。どちらかが間違いということになりますが、畧頌は間違いにくいでしょうから、たぶん、初期配置の図が違うのでしょうか。

 

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コメント: 9
  • #1

    長さん (木曜日, 22 8月 2013 09:11)

    泰将棋、延年大将棊と、鎌倉時代後期、虎関師錬の異制庭訓往来の、
    「多はすなわちの将棋」とは別、が私の持論ですね。
    泰将棋は、異制庭訓往来に合わせて作られた、後付けの人工物だと
    私は思っています。「つじつま合わせ作成」の根拠は以下。つまり、
    当時の一般の方。354という数字。ぴったり1年の日付と、関連付ける
    思考。本当に有ったんでしょうか?。鎌倉時代にも安土桃山時代にも
    使われた宣命暦。月の大小は既に「定朔」になっていたと思いましたが。
    30日、29日の「ひとつき日数」の大小の配列は定朔は、複雑ばらばら。
    なので、355日の1年、頻繁に有ったのでは。そこで354という数字
    で1年という連想が、現代人と違って安定して出てこないと私は思います。
     なので、異制庭訓往来で、泰将棋等を指して、(1年の)
    三百六旬の甲子に則ると、説明されるとするのは、かなり不自然な
    のでは。平均1朔望月の日付を知っていた「知識人」が、泰将棋を
    後付けで作った為、大型将棋を指す、「上流階級一般」からは浮き上がっ
    てしまい、「後世の作り物」の「足」が、ここからついているように、
    私には見えますね。

  • #2

    長さん (木曜日, 22 8月 2013 10:41)

    論旨が見えにくいので、以下の部分加筆しました。
    不明確→平均1朔望月の日付を知っていた「知識人」が、泰将棋を
    後付けで作った為、
    加筆後→平均1朔望月の日付を日の小数点2桁の精度で知っていた
    「知識人」が、泰将棋を後付けで作った為、

  • #3

    T_T (金曜日, 23 8月 2013 01:55)

    コメントありがとうございます!

    コメントの返信をしていますときに、少し大きな発見がありました。長いコメントになっています。

    ご指摘の件、うるう年の問題で、たとえば、今ですと、1年=365日と思っている人が普通だと思いますが、正確に言えば、365日もあり、366日もあり、となります。もし、ある人が、1年の日数分の駒を作ろうと思い立ったとき、おそらくは365枚の駒を作りそうな気がします。

    太陰暦の場合でも同じで、おおまかには、3年に1度のうるう月の問題となります。1年=354日(29日が6カ月、30日が6カ月)ですが、3年に1度は13カ月の年があり(正確には19年で7度)、この年は、うるう月(30日)がはいって、1年=384日となります。そこで、ある人が、延年大将棋を作ろうとします。やはり、354枚ではないでしょうか。

    弥生(30日)と閏弥生(30日)、弥生が2回来る年の場合、閏弥生をカウントしないと考えれば、例年どおり、354枚でOKです。ただし、「延年」という行事が、より神事に近いとすれば、そういういい加減な考えではこわいと思いますので、そういう場合、384枚の延年大将棋を作ったかもです。今年は、384枚の将棋を出しておきなさい、みたいな感じでやるのではと思います。

    そこで、実は、面白いことに、摩訶大将棋を2面並べると、384枚(=192枚×2)です!
    あるいは、2面ではなく、くり返し2回並べたかも知れません。今年は、泰将棋の方じゃなくて、摩訶大将棋の方ですよ、みたいな感じのやりとりがあったのでは。

    泰将棋354枚=太陰暦のふつうの1年、
    摩訶大将棋192枚×2=384枚=太陰暦の閏年の1年、
    これは、偶然の一致なのでしょうか。
    延年なのだから、やはり、吟ずるための歌も必要だったでしょう、象棊纂圖部類抄には、略頌(詩歌の形式にした文章)は、泰将棋と摩訶大将棋の2つの将棋に付けられています。

    この話題、かなり大きいと思いますので、後日、ブログの本稿にて再度取り上げたいと思います。鎌倉時代と室町時代の354、384の数字がどのような場所、状況で使われていたのかを調べる必要があります。起(Uさん)、承(長さん)、転(192×2=384)と進みましたが、どのような結の起承転結ができあがるのでしょう。

  • #4

    T_T (金曜日, 23 8月 2013 02:11)

    上のコメント#3の中で、「384枚の延年大将棋を作ったかもです」と書きましたが、これは、まだ発見されていないけれども、あるかもしれない延年大将棋(384枚将棋)のことです。摩訶大将棋を想定したものではありません。念のため補足です。

    仮に摩訶大将棋が延年のための将棋に使われていたとしても、それは、結果的にそうなっただけ、と思っています(偶然、枚数がそうだった)。つまり、摩訶大将棋は、きちんと「設計」されたボードゲームだった、という立場でいます。

  • #5

    長さん (金曜日, 23 8月 2013 10:16)

    コメントどうもありがとうございます。今様なら、
    364枚制か366枚制の将棋にするのではないでしょうか。最初の駒数が、先手・後手でどちらかが183枚、他方が182枚という駒数の違う将棋というのも、例が無く、かなりおかしいですし。
    なお、宣明暦ですが。19年約7閏月の、閏が無い年だけを繋げると、355日で1年が、月の軌道運動の性質が元で(円より楕円により近い「中心差起源」が、一番大きい要素のようですね)しばしば連続します。そこで「平均が354日に近いか、355日に近いか」が、グレゴリオ暦に比べてわかりにくいと思います。だから、「12暦月は354日の方にやや近い」というのは、教えられないか、別の事に興味が有って、教えられてもそれに興味が無く記憶が残らない、今より複雑な暦法の、マニアではない上流階級にとっては、「354」で、今の人のように「365で1年を連想できる」ほどの、強い数字のイメージが、とてもじゃないが、頭には残らないのではないかと私は見ています。

  • #6

    T_T (日曜日, 25 8月 2013 00:05)

    コメントありがとうございます!

    365枚の駒の件ですが、対局用でなく、ただ作るだけということで書いたのですが、確かに対局用だと、奇数枚数はおかしいです。そうすると、旧暦の場合ですが、354枚か355枚かとはならず、354枚か356枚の選択になってしまいます。ですので、ややこしい話はなくなって、354枚ではないだろうかと思ってしまいました。

    いろいろな件、ゆっくりと調べてみたいと思います。今日、暦の本を2冊買いました。暦はとても面白いテーマです。こんなに奥深くて、幅広い題材を含むということをこれまで知りませんでした。とても不思議な流れと言いますか、縁と言いますか、暦のブログを来月には作ろうと考えています。こちらの方もどうぞよろしくお願いいたします。

    現時点での私の考え方ですので、何とも言えませんが、鎌倉時代には暦は発行されており、その1年が354日あるのか384日あるのか、閏月はどこの月に入るのか等、知れ渡っていたように思います。ですので、ご指摘の問題は起こらないのではないでしょうか。

  • #7

    長さん (月曜日, 26 8月 2013 10:19)

    知れわたっているから、連続した数年の暦に、たまたま着目して気を取られてしまい、「閏月無しの一年の日数」のイメージを漠然と作ろうとする、「駒数多数将棋マニアでかつ、暦法にはさほど興味のない上流階級」には、12暦月の日数が、宣明暦では、わかりにくいんだと思います。354日、355日、385日(閏有りの長年)、355日、354日っていう感じに、結構ならぶんじゃないでしょうかね。根本的には、12朔望月に、13近点月や、11(月の不等黄経運動の)出差周期が近く、端数の小数点第1位が、0.1とか0.2とか、0.8とか、0.9になり、中間の0.3~0.7に、たまたま、ならないから、小大大大小と言う感じに、大が続きやすくなるという事かと。太陰太陽暦の作りの良しあしではなくて、定朔法だと、だいたいみんなそうなりますね。これじゃ、365、365、365、366とだいたい並ぶ、太陽暦のように、365が、平均に近いようには、少なくとも私にはとても見えないですよ。なお、このへんは、私の場合、暦の本ではなくて、ネットから数値を拾って、最近自分で考えました。ちなみに「大の月が4か月連続して続くと不吉とされ、初期の『日本式宣明暦』では、無理やり改元した」という話が、多少ヒントにはなりましたが。暦学って結構、重大じゃないことだと、専門書にもあんまり書いて無くて、学習者が、自分で考える部分も、多いような気がしますね。

  • #8

    T_T (水曜日, 28 8月 2013 02:30)

    コメントありがとうございます!

    暦の件、ゆっくり勉強していきたいと思います。鎌倉時代を考えますと、たぶん、暦を作っている人や陰陽師以外では、ほとんどすべての人は暦法に興味がなかったと思いますが、当時の人々は、十分に暦は気にしていただろうと考えています(まだ、調べていませんので根拠なしですが)。

    1年の日数ですが、平均で考えますと、たぶん、
    354日の年が10年で、4~5回
    384日の年が10年で、3~4回
    355日の年が10年で、2回
    あたりだと思います。

    将棋として作る場合、奇数を除くとして、354枚か384枚が妥当なように感じるのですが。。。

  • #9

    長さん (月曜日, 02 9月 2013 11:20)

    私は本当のマニアが作ったのなら、356枚制の将棋であっても良かったと思いますね。
    27×27升目で、泰将棋と違って、初期配列に袖の方に空隙があり、1段目から順に、最下段27枚、2段目から19枚を(袖を互い違いに並べて)5段、7段目走り駒を中心に27枚、8段目歩兵27枚、9段目仲人2枚で、8段目まで自陣という、摩訶大将棋に雰囲気の似た、356枚制将棋というのでも、泰将棋とはあんまり変わらなかったと思いますね。