76)踊り駒の動き(再考):「踊る」の意味

しばらく書きそびれていたことを順に書いていきます。まず、「踊り」という語句の意味について進展がありました。この件からいきます。


踊り駒の存在は摩訶大将棋の大きな特徴ですので、復刻ではキーポイントのひとつになります。これまでも次の3つの投稿で取り上げました。
投稿18)摩訶大将棋の序盤の特徴:踊り駒(2012年4月4日)
投稿36)摩訶大将棋の特徴:踊り駒(2012年12月24日)
投稿37)摩訶大将棋の特徴:踊り駒(続き)(2012年12月26日)
今、読み返しますと、部分的によくない記述もありますが、おおよそ正しい感じだと思います。

 

投稿36)に、踊りの定義として、1手で複数個の駒を取ることができる駒と書きました。この説明は間違ってはいませんが、これは、出発点としての定義ではなく、結果的にはそう見ればいいという後付の説明です。この定義を支えていた根拠は、中将棋に残されていた師子の動き方だけでした。最近、「踊り」という語句の意味を見つけ、これをもとに、踊りを新しく定義しなおすことができました。

 

踊りについては、踊り念仏との関連から、気長に文献を読んでいたのですが、情報は全然別の所、暦のテーマの方で見つかりました。次のサイト(旧暦入門第5回)、
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt38/kyureki5.htm

の中にある、「節気の日にオドリます(同じのを繰り返す)」、 という記述がきっかけです。この文章で、踊る=繰り返す、という古語の意味を知った次第です。ただし、踊りの語源については、まだ確定していないようです。

(たとえば、http://gogen-allguide.com/o/odori.html )

 

踊る=繰り返す、であるという点を前提に、三目踊りの駒(金剛、力士)の動き、「三目踊る、一目二目をば踊らず、馬を超す」の意味を考えてみたいと思います。踊りという動きを、歩きの繰り返しとみれば、次のような解釈となります。


三目踊る:=歩きの動作を3手、繰り返す
二目を踊らず:=歩きの動作を2手繰り返すだけ、ということはない
一目を踊らず:=歩きの動作が1回だけ、ということはない
 

「三目踊る」は、踊るという言葉の意味から、連続して3手指す、という解釈で問題ないように思います。三目のマス目のうちに、敵駒がいた場合は、順次取り進むことになりますので、結果としてみれば、これまでの投稿で使った表現、jump and eat(飛び越した駒を取る)に相当します。もし、三目のうちに、味方の駒があった場合ですが、この場合は、言葉の意味だけでは判断できません(味方の駒がいるから進めないとするか、いても進むことができるとするか、この2とおりが考えられます)。しかし、この点は、現代に残る唯一の踊り駒である師子の動きを考えれば解決します。師子は二目の踊り駒ですが、味方の駒を飛び越すことができますので、味方の駒がいる場合は、それを乗り越して進むことができるという解釈になります。つまり、投稿18)の図のような動作は問題ありません。古文書では、「馬を超す」の部分で、この動作を表現したかったのでしょうが、言葉不足ではあります。

 

狛犬の動きは、「一目二目をば踊らず」ではありませんので、たとえば、二目踊りもOKです。象棊纂圖部類抄にある朱色の点点点だけを見る限り、動きのルールはあいまいでしたが、はっきりしたのではないでしょうか。


いちおう、異論多い部分のみ、まとめてみます。解釈の詳細については、投稿36)と投稿37)を参照下さい。
狛犬:上下左右ななめの一目・二目・三目のどこにでも着地可。飛び越した敵駒は取れる。
力士:ななめの一目と二目には着地不可。三目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。
金剛:上下左右の一目と二目には着地不可。三目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。
飛龍:一目には着地不可。ななめの二目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。
猛牛:一目には着地不可。上下左右の二目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。


長くなりましたので、居喰いについての部分は、別に投稿します。居喰い=一目踊りと解釈していた、以前の投稿内容は間違いです。
 

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コメント: 5
  • #1

    長さん (月曜日, 06 1月 2014 14:34)

    以下正しいのかどうかわかりませんが。
    以前、「踊り」の意味を個人的に考えた際、「全く同じ行為を繰り返す」の意味と解釈したら、どうなるかだろうかと、漠然と思った事がありました。この場合の別解釈「踊り」では、相手駒が幾つか取れるとき、相手駒が連結している、端の升目までしか動けない事になります。「一歩進んでは、相手駒を取る事」を繰り返す、意味と取ったからです。ただしその時、他に「一歩進んでは、隣りの空の升目に移動する事」を、繰り返しても良いのかもしれないとは、漠然と考えていました。飛鷲や角鷹の2升目動きを、踊りと単純に表現せずに、「突き刺しも有り」と説明するのは、上記解釈の名残りかと(?)。こうすると結構、実践では紛れやすい動かし方(たとえば隣りに、相手駒が居ないと、2升目先の相手駒は取れない)になり、こんな事だったから、そもそも、「踊りと言う動かし方そのものが、歴史的に忘れ去られたのではないか」とかつて考えて、死語になったという事をヒントに、こんなことだろうと、考えてもいたものです。
    つまり「踊の意味は繰り返す」の解釈には賛成です。が、「何を繰り返す」のかが問題では。で、「歩(兵)の動きの動作」の繰り返しだとは、にわかに判断できないのではないでしょうか。すなわち、「歩兵の動きの繰り返し」とは限らず、踊りはしょせん読み手にはいろいろに解釈でき、依然古文書の記載は、曖昧で良く判らない(書いた人間が居なくなったら厳密な定義を知るすべもない)というのが、本当の所だと思っているのですが、いかがなものでしょうか。

  • #2

    T_T (月曜日, 06 1月 2014 23:16)

    コメントありがとうございます!

    踊り=繰り返す、の件ですが、そう解釈してみたということではありません。他分野でそういう説があるということで、それを、古典将棋の文献の記述に応用したということになります。ですので、他分野では、踊り駒の「踊り」のことを、強い傍証として使うことができるはずです。

    何を踊るか(何を繰り返すか)、ですが、これについては明白で紛れはありません。「歩き」を繰り返します。個々の駒で、歩く方向はいろいろですが、決まった方向への歩きを繰り返すことになります。猫叉を、二目踊りの駒にしたのが、飛龍となります。飛龍を二目踊、不踊一目、の駒としたとき、あとは、歩く方向を規定すればいいだけですので、曖昧さは全くありません。

    諸象戯図式の著者は、どうも、踊りについては、完全に納得していたようです(それは、著者ですので、当然ですが)。方向を書き、踊ると書き、その回数を書いています。たとえば、力士の踊り部分は、角角腎腎、三目踊と書いています。これだけで、完全な記述になります。

    摩訶大将棋の踊りの問題は確定したものと考えています。現存する踊り駒、師子の動きとも、全く矛盾しません。

  • #3

    T_T (月曜日, 06 1月 2014 23:32)

    読み返してみますと、上の#2のコメントは、間違っています。訂正します。

    諸象戯図式の記述は、不完全です。#2では、力士の例を挙げましたが、諸象戯図式では、「不踊一目二目」の情報が抜けています。三目踊り、と書いたとき、一目二目は踊らない、ということが前提だったのかどうか。ともかくも、ルールブックとしては、諸象戯図式は完全ではないようです。

  • #4

    mizo (火曜日, 07 1月 2014 00:36)

    踊りは「踊り字」の用例のように、「くり返す」という意味だと思います。
    先生のご意見に賛同いたします。従来の拙案を訂正いたします。
    「諸象戯図式」の「諸象戯歩走行踊飛越名目相交之圖式」で「五踊」「三踊」の地点があり、4番目の場所が空白であることを省略と考えていましたが、分かりました。「五踊」の駒は4番目で止まることはできないということですね。単なる「越」とのちがいは、歩いて行くので途中の敵駒を取れるということですね。

  • #5

    T_T (火曜日, 07 1月 2014 22:21)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    踊りの語源、現代まできちんと残ってるわけですね。踊り字のこと、全く知りませんでした。ご指摘ありがとうございます!

    諸象戯図式の図のこともありがとうございます!
    こちらの方も大きいご指摘だったです。

    このことで、諸象戯図式では、三目踊りだと不踊一目二目が暗黙の了解、五目踊りだと不踊一目二目三目四目が暗黙の了解だったこともわかりました。

    摩訶大将棋の踊り駒の行度は、諸象戯図式の著者には、伝わっていたということになります。狛犬は、暗黙の了解とは違い、不踊一目二目ではないですから、不明瞭な点はこの点だけです。狛犬は正しく伝わったのかどうか。駒の行度の表では、不踊一目二目が前提で書かれているようですが、これだけではまだわかりませんので、諸象戯図式を久しぶりにいろいろ読み直してみないとです。