前の投稿90)にてコメントいただきました、1015年の件ですが、解明:将棋伝来の『謎』、今日早速買ってきてひととおり読み終えました。短く書きますと、1015年と確定できるわけではないですし、日本で将棋が創作されたと結論できるわけでもありませんでした。この件、後日、詳しく投稿したいと思います。
とは言うものの、この本は、おすすめです。文献をきちんと挙げていただいているのも有難いです。文献の解釈は人によりいろいろあるかと思いますが。
後一条天皇をキーポイントにされているのは、納得ができ面白かったですが、1015年の状況証拠というほどの説得力は感じませんでした。将棋伝承1000年と主張するとした場合(つまり、1015年が将棋の始まり)、北宋からクジャクといっしょに将棋も届いたのが1015年だと思いますよ、というのと結局のところあまり変わりません(証拠のなさにおいては)。ただ、著者は日本で将棋が創作されたという説ですので、クジャクの話しはなかったかもです(読み飛ばしていたらすいません)。
このまま全部書いていきたいほど、いろいろとあります。著者の結論には賛成できませんが、推理の過程の一部に、非常に正しい、そのとおり、と思うところもあって、だから、いろいろと自分の考えを再確認できることになりました。ですので、やはり、この本はいい本です。この本をテーマに、1日中、パネルディスカッションできるかも知れません。
最後の方、195ページに7つの結論(推論の行きついた先)が並べてあります。その中の1番目、以前、私が感じていたこと、将棋は物としてではなく、物語として伝わってきた(2012年9月19日の投稿:宝応象戯の伝来仮説と習書木簡の酔象)というのと、いっしょの想いだと感じました。宝応象戯のことを思うと、そう感じてしまうのが誰しも自然ということなのでしょう。
しかし、今の私の考えは多少違ってしまっており、やはり、将棋は物として伝わってきたのだろうと思っています。この件もまた後日に。
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長さん (金曜日, 30 5月 2014 09:26)
私も将棋は物として伝わってきたのだと思います。
物語といった精神的なものだったとすれば、ネット社会ならともかく、つながりは、近い者同士の方が、強くなるはずですよね。日本将棋だけ、どういうわけかその理屈から、そうとうに外れている。これは物量の力(大海原を航海できる造船力)によって、ほんらい距離の何乗かに反比例する精神的なつながりが、このケースは引き裂かれているからではないでしょうかね。