象棊纂圖部類抄の冒頭にある序文は、次のように始まります。
夫象戯者周武之所造也
上観其象於天文移以日月星辰之度
下象其形於地理列以金銀鉄石之名
それ象戯は周武の造る所なり
上は其の象を天文に観て、移すに日月星辰の度を以ってす
下は其の形を地理に象って(かたどって)、列するに金銀鉄石の名を以ってす
上記の訳の三行目は、金将、銀将、銅将、鉄将・・と、大型将棋そのままの形容ですので問題はありません。しかし、二行目の文章は、私には最近までよくわからないままでした。ただ格調高く形容したのだろう、調子いい文章を作っただけと考えていました。将棋には天文に関連する駒や日月星辰がないと思っていたからです。この点が、実は完全に間違いでした。
この文章の意味するところですが、そもそも将棋は陰陽道そのものだったのですよ、と言っている箇所なのかも知れません。だからこそ、冒頭に来たわけで、最重要の文言でもあります。しかし、著者は、この点について具体的には書かず、次へと進んでいます。全文に関して、後日にきちんと投稿しますが、かなり意訳するならば、将棋は合戦シミュレーションでもあります、遊戯でもあります、この大切な将棋の一切を私が(著者が)書き残しておかねば、というストーリーです。これは、将棋の発展してきた筋道でもあるのでしょう。象棊纂圖部類抄に関する限り、将棋は昔からあったボードゲームです、というような書き方ではありません。
さて、では将棋の何が日月星辰なのか、ということについてが本稿です。最近、陰陽道のことをいろいろと文献で調べ始めて感じるのですが、日月星辰という四文字熟語自体が、すでに陰陽道の持つ雰囲気を表わしているような感じがします。本稿、結論のみを書きます。十二支が日月星辰に相当するものと考えています。
陰陽道では(こういう言い方が正確かどうかは、まだ私にはわかりませんが)、天球を12分割して、各領域に名前をつけているのですが、その名前が十二支にあたります。なぜ12分割かと言うと、木星がほぼ12年でもとの位置にもどってくるからです(木星の公転周期=ほぼ12年)。今どの位置に木星がいるのかを(正確に言えば、木星と対応づけされている架空の星:太歳)、十二支を使って表現することができるのです。
ですので、十二支の名前、つまり動物は、天球の住所のようなものです。「日月星辰の度を以ってす」で、度は位置ということでしょう。角度の度と言っていいのかも知れません。ひとつの名前で、天球のだいたい30度の領域と考えればいいでしょうか。投稿101)で書きましたとおり、摩訶大将棋に並ぶ十二支は、順に次のとおりと考えられます。
老鼠・猛牛・盲虎・猫叉・臥龍・蟠蛇・驢馬・盲熊・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪
「卯」は、東南アジアの十二支にあるように、猫になっています。「未」に相当するものを、本稿では、盲熊に割り当てていますが、この点のみ、まだ不明です。十二支のうち、十一が揃っていますので、この線でまず問題なかろうと考えています。上観其象於天文移以日月星辰之度、下象其形於地理列以金銀鉄石之名の文章の意味するところは、摩訶大将棋の駒を並べて、身近に見てもらえれば、本当によくわかります。最下段に地上のものがずらりと並び、その上に、まさに日月星辰がちりばめられています。おそらく、それぞれの駒には、陰と陽が割り当てられていますし、さらには十干があるのか十二月将がいるのか、ここに五行説も入ってくるのでしょうが、これらは、また後日の投稿となります。
最後に、なぜ、十二支にはない熊の駒なのか、について、思ったところを少しだけ書いておきたいと思います。この件、どうでもいい話で、ただの感想です。問題の「未」の位置ですが、ここは、西洋の星座では、しし座にあたる位置です。ほぼ同じ赤経(もちろん赤緯は違いますが)に、北斗七星(おおぐま座)があります。陰陽道では、北斗七星は、式盤の中央にあって、ひときわ重要だと思われます(未確認)。「未」の位置は、未を持ってこずに、おおぐま座の方を持ってきたのではないかとふと考えましたが、果たして、古代の日本に、おおぐま座という認識があったのかどうか。
なお、古代の中国では、北斗七星の星座は、熊ではなく、「車」と見られていたようです。摩訶大将棋の中に、もし、北斗七星に相当するものが入っているのだとすれば、それは、飛車、反車、香車・・という車の駒なのかも知れませんが、この件、まだまだ道は遠いでしょう。駒の強さで北斗七星を選ぶということもできます。
摩訶大将棋の十二支の件、だいたい以上のような感じです。単に、「子」は老鼠で、「丑」は猛牛で、という名前合わせではないことをわかっていただければと思います。摩訶大将棋にある動物の駒で、これら十二支以外の駒を見れば、これが、象と豹、つまり、酔象と猛豹です。このきれいな一致のせいで、私は、大江匡房の文言を重要視しています。酔象と猛豹は、摩訶大将棋ができる前に、大江匡房の時代に、すでに存在した駒だったのでしょう。
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長さん (月曜日, 14 7月 2014 09:22)
序文を読んでの感想ですが。何れにしても、「天を見て占い、地名をかたどって」とまで、「将棋は世界を模したもの」と、大きく構えた所を見ると、作者も周武も、作成したゲームの中心となるものは、獣の名前をかたどった、異制庭訓往来の小型将棋ではなくて、一年の日付ほどもある駒数または升目の総数の多い、大型将棋の方で有った事だけは確かだと思えます。
長さん (月曜日, 14 7月 2014 10:44)
注記:個人的理解であり、厳密ではありませんが。「天文」は「天文学」の天文ではなくて、私はここでは「昔の暦上に大量に付属された占いの体系」と訳しました。「日月星辰」は、現代の日曜、月曜、火曜、・・のイメージと同じです。日本の仏教には古くからオリエント文化も組み込まれており、日の七曜の概念は占い用として空海の時代から有ると思います。たとえば日曜日は、「密」の日と言われたのでは。昔の日付記法を示すため十干十二支を持ち出すまでもなく、「曜日」とくれば一年の日付けが連想できます。
長さん (月曜日, 14 7月 2014 16:54)
上記2つ、へんなコメントでした。たいへん失礼しました。
この序文は、摩訶大将棋に関するものですね。2行目は結局の所、座標の説明のように私には見えます。1一、1二、・・へ、日曜、月曜・・。1十九、2一、2二、・・へ、木曜、金曜、土曜・・が、変形カレンダーのように、たぶん割り当てられる感じでしょうか。19×19升目なので、1年は361日程度なのですね。
次に3行目は、最下段に、中央から、玉、無明(等)、金、銀、銅、鉄、瓦、石・・が並んでいる事を示していると、私も思います。
2行目の難解な解釈は、ようするに火星、水星、木星・・は、天球座標で、ある角速度で、惑星が運行しているという姿が、占いの世界では抽象化して、今日は火星の日、今日は水星の日・・と、地上を支配している、支配神のような感じで、日々出て来るように、昔の人は、暦注の占いの世界では理解したという事でしょうかね。
なお座標が2行目の「上」世界で、個々の駒の位置が3行目の「下」世界というのは、天象、地形と、詩でインを踏んだためか。 ちょっと妙ですが、2行目は座標の表現である以外の、別の解釈は、難しいように思いました。
T_T (火曜日, 15 7月 2014 09:16)
コメントありがとうございます!
私はもう少し単純に考えています。天文や日月星辰の語句は、天球にある何かという、そのままに解釈しました。天球の位置に動物の名前を割り当てたのが十二支なわけですが、十二支の全部が、どうも摩訶大将棋の駒になっていそうな気配です。
陰陽道は、もともとはと言えば、ピュアな昔の人々が感じた、夜空への不思議、センス・オブ・ワンダーから出てきたものでしょう。はじめ、そのツールとしての将棋盤と駒が作られ、時代が変わって、それを合戦のシミュレーションとしても使い、そうしているうちに、純粋な遊戯にもなっていったという、そういう展開を想定することもできます。
それと、将棋盤のマス目を日々のカレンダーとして見るという、ご指摘の考え方、そうだったのかも知れません。