108)伎楽と摩訶大将棋:踊り駒が舞う

摩訶大将棋には十二支の駒が揃っていたわけですが、実は、別の対応関係がもう1件見つかっています。伎楽面の名前が摩訶大将棋の駒に並んでいるのです。本稿、もし間違いがなければ、本ブログ中で最重要のひとつになるかも知れません。

 

摩訶大将棋には、伎楽面に対応した駒が、少なくとも8駒含まれているようです。投稿105)に十二支をマークした図を付けていますが、その図に、伎楽面に対応した駒(羅刹、力士、狛犬、金剛、夜叉、麒麟、師子、鳳凰)の位置を黄色にマークしました。

摩訶大将棋に並ぶ伎楽面の駒(黄色のマスにある駒)
摩訶大将棋に並ぶ伎楽面の駒(黄色のマスにある駒)

 

伎楽は、7世紀に渡来した舞の芸能で、大雑把には、平安時代に盛んに演じられ、鎌倉時代には廃れていたようです(調査中)。伎楽面は、正倉院や東大寺に200面ほどが残っており、多くは8世紀のものだそうです。

 

上図のとおり、摩訶大将棋では、玉将(天皇を想定)の前方に、狛犬と師子が並びますが、これは、行幸の際に先導する「道の祓い」を表現しているのだろうと考えています。つまり、狛犬舞と師子舞に対応しています。この道祓いが、陰陽道から来るのか神道から来るのか、まだ調べていませんが、ともあれ、投稿81)に引用した枕草子の文章中にも、このふたつの舞は出てきます。

 

ところで、図の黄色にマークされた駒の件、伎楽の演目に力士舞というがあるのですが、そのときに使う伎楽面と対応しているようです。以下、「摩訶大将棋の駒:伎楽面」の対応関係です。

 

羅刹:崑崙、 力士:力士、 金剛:金剛、

夜叉:治道、 師子:師子、 鳳凰:迦楼羅

 

狛犬と麒麟については検討中ですが、狛犬は伎楽面と対応づけなくてもいいかも知れません。麒麟については、力士舞の中では対応があいまいです。本稿、速報的に書いていますので、伎楽面と駒との対応の理由については、後日にまた投稿します。羅刹と夜叉が名称だけからは結びつきませんが、面を見るとはっきりします。

 

このように、狛犬舞、師子舞とは別に、伎楽の舞とも対応しているのですが、面白いのは、対応する駒のほとんどが、踊り駒だという点です(おそらく、全部が踊り駒でしょう。麒麟と鳳凰も当初は踊り駒だったと思います)。摩訶大将棋の作者は、舞に由来する駒の動きを「踊り駒」にしたというわけです。踊り駒の「踊る」は、「くり返す」の意味だということですでに決着していますが(投稿76)、舞と踊りという対応については、さらに考えないといけないでしょう。

 

摩訶大将棋が、平安時代に栄えた事物の名称を使っている以上、その成立を平安時代と見積もることもできます。しかし、重要なのは、陰陽道の呪術に使われていたときの話ではなく、世界に現れたときがいつかということです。ですので、陰陽道が民間陰陽師から一般個人にも広まり出す鎌倉時代の前半、1250年前後に、摩訶大将棋は世界に出現したのだろうと想像します。それ以前にも、別の大将棋(たとえば、平安大将棋のようなもの)が、呪術から漏れてきたこともあったでしょうが、おそらくその将棋は、陰陽道には無用の将棋ということになります。秘術ではないもの、陰陽師が放り出したものでしょうか。世に現れた呪術、それは神様に奉納する遊戯でもあったのですが、当時でも、あまりに複雑だったかも知れません。呪術の将棋は、次第に純粋な遊戯へと改良されていったのでしょう。駒数を減らして、大将棋、中将棋、そして小将棋(持ち駒あり)へというのが、ひとつの考えられる進展です。

 

この話、さらに展開しますが、まだ長くありますので、続きは後日に投稿します。以上の文面、私の空想の部分は読み飛ばしていただき、どうも本当らしい伎楽面と駒の対応だけを検討いただければと思います。実は、この8枚の踊り駒/伎楽面ですが、興福寺の八部衆にも対応しています(伎楽面が、もともと八部衆と対応していたのかも知れませんが)。こうして、またしても、古代の将棋に興福寺が出て来るのです。将棋は正倉院にはなかったのですが、興福寺に堂々と並んでいたというわけです。

 

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コメント: 3
  • #1

    長さん (月曜日, 25 8月 2014 11:22)

    伎楽と獅子、狛犬、麒麟、鳳凰、金剛力士、夜叉羅刹との関連について。絶対無し、と否定するのは難しいとの印象です。ただしこの仮説。摩訶大将棋の中に、中国の「呉国」を匂わせる要素が無いようだと、決め手が不足しているのでは。伎楽の登場人物の中にも、「呉」が2名おるはずですし。この点について、この将棋のどこかに「呉」は隠れているのでしょうか。ぱっと目には見当たらないように思いましたが。

  • #2

    長さん (火曜日, 26 8月 2014 09:16)

    今朝気が付いたのですが。3つ前の高見先生の投稿で、「摩訶大将棋には12支の動物のうち、11までがそろっており、羊だけが足りない」旨が記載されています。羊はベトナム12支ではヤギであり、盲熊ではなくて摩羯が対応なんじゃないんでしょうかね。4番目の兎も、ここでは猫に置き換えたのでは。よって8番目も日本流の羊ではなくて、ベトナム流にヤギをあてて良いのではないかと私には思えます。摩羯は、星占いの中国名「摩羯宮」であり、現在の西洋起源の星座名では、ヤギ座ですよね。なぜ平安時代後期の日本人が、ギリシャ神話の「パンとティポン(台風)の話」を知っていたのかは謎ですが。一応摩訶大将棋には、羊は無くてもヤギ関連の駒が有るように思います。よって私も以降、「摩訶大(大)将棋には、ベトナム(越南国)式の12支の動物名が事実としては揃っている」の認識で行きたいと思います。
    ただ、12支が越南物だと、伎楽ゆかりの「呉国」の要素は、入りにくいんじゃないでしょうかね。「呉越同舟」と言われるように、越人は呉国と水と油同士の仲のようですから。
    ただし伎楽だと、これとは別に胡国の要素がありますね。酒飲み人間の国として描かれているようです。そこで摩訶大将棋でその要素を探すと、老鼠の成りの「蝙蝠」が関連するかもですね。老鼠の成り。一部の江戸時代の古文書では、大大将棋でだけ「古時鳥」ともされています。古時鳥。「胡国のホトトギス」の意味かもしれないとの説が、少なくともwebには有ったようです。私は「古時鳥」は「古蜀のホトトギス」の意味で、蜀国関連と見ていますが。それで一応前者が正しいとすると、成り老鼠が、「(酒飲みの)胡国の人間」と関連し、伎楽を僅かに感じさせると言う事になるように思えます。ただしそうすると、摩訶大将棋よりも大大将棋の方が、成り老鼠についてだけは、伎楽に近いことにもなりますかね。何の意図で摩訶大将棋では、老鼠の成りをわざわざ「蝙蝠」に変え、摩訶大将棋を伎楽から、より遠くしてしまったのか。元々は老鼠の成りは、摩訶大将棋でも古(胡)時鳥であり、江戸時代に写本のとき、間違えたんでしょうかね。

  • #3

    T_T (火曜日, 26 8月 2014 23:17)

    コメントありがとうございます!!

    ところで、決め手不足とお考えのようですが、長さんは、かなりな慎重派だとお見受けしました。まあ、私の場合は、こういう性質でもありますので、この件、もうほぼ確定と思っている次第です。伎楽の8つの面が、摩訶大将棋の駒の名前に反映しており、それが、将棋のメッカともいうべき興福寺の八部衆にも対応していそうで、そして、この伎楽の舞の駒は、全部踊り駒と命名されていた、と、もうこれだけでも十分ではないでしょうか。十二支は既報のとおりでほぼ確実ですが、加えて十干も形成できそうです。陰陽五行の基本もきちんと入っているように見えます。つまり、「え」と「と」のペアが五組あります。この件、後日に投稿いたします。

    それと、呉の件ですが、摩訶大将棋は呉と無縁だと思っていますので、全く重要視していません。また、摩羯は鉤行との密接感が強いですので、単独での取り上げはむずかしいです。こちらの方もまた投稿いたします。