2014年、秋の展示・対局会のご案内です。
お問い合わせ先:takami@maka-dai-shogi.jp
1)摩訶大将棋の展示
期間:2014年9月23日(火)~30日(火)
場所:ピーコックストア奈良北生駒店
主催:日本摩訶大将棋連盟
内容:将棋盤1面・アドバンスド摩訶大将棋1面
2)摩訶大将棋の展示・対局会
期間:2014年10月4日(土)~5日(日)
場所:国際奈良学セミナーハウス・研修室
主催:ゲーム学会
内容(予定):将棋盤1面・アドバンスド摩訶大将棋2面
摩訶大将棋セミナー(入門編)、プリンセス金魚杯2014決勝
3)摩訶大将棋の展示・対局会(奈良県大芸術祭 参加イベント)
期間:2014年10月28日(火)~11月3日(月・祝)
場所:旧世尊院客殿(国際奈良学セミナーハウス)
主催:日本摩訶大将棋連盟
内容(予定):将棋盤4面・アドバンスド摩訶大将棋4面
各種文献・各種古文書の部屋、談話会、摩訶大将棋セミナー(入門編)、
摩訶大将棋大盤解説、奈良県大芸術祭トーナメント(仮称)
興福寺の子院、世尊院の客殿にて、対局の場を用意します。客殿はすべて予約しています。客殿のだいたいの様子は、以下のサイトの写真をご覧下さい。
http://nara-manabi.com/nara/kyuseson/
摩訶大将棋の対局を、ルールの復刻だけでなく、対局する場の空気、中世の空気も含めて復元できるでしょうか。対局日時の予約、承り中です。一対局(3時間まで)で一部屋全部を使いたいと思っています。日が近づきましたら、詳細また投稿いたします。
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長さん (金曜日, 26 9月 2014 09:40)
関西方面からの参加はきついかもしれませんが。私に言わせると、ほとんど神がかりに近い、上記の奈良での摩訶大将棋の普及活動に関連して、栃木県小山市神鳥谷(ひととのや。天神町との境目に近い)の神鳥谷曲輪遺跡にて、西暦2007年春に「裏金一文字角行駒」1枚を発掘した、小山市の遺跡調査担当者、秋山隆雄氏(私の印象では「神の手」の持ち主に近い)の講演会があるようです。
小山市市制60周年記念 第64回企画展「指定文化財でふりかえる小山の歴史」関連講座
講座名
ここが知りたい小山の歴史
(2) 「中世小山の都市景観
~小山氏の城と神鳥谷曲輪」
(2) 2014年12月20日(土)
◇時間 13:30~15:00
申し込みは博物館まで電話で
電話:0285-45-5331 ファックス:0285-45-5247
対象:一般、定員30名(先着)
※定員に達し次第、〆切となります。
内容:小山の歴史の中でも特に注目されるテーマ
を 設定し、学芸員による講座を実施します。
講師: (2) 秋山隆雄(文化振興課)
場所:博物館 視聴覚室
備考:参加費は無料
なお奈良県と栃木県小山市との関連ですが。まずは上記の天神町っていう関西っぽい地名が有りますね。実際、小さな、創建が不明なほど古い天満宮(室町時代の足利持氏によると私見)があります。この天満宮は曲輪遺跡に重なって有った、戦国時代まで尼寺の(廃寺)青蓮寺の別当神社。遺跡は、小山城(長福寺城・龍ケ岡城)の一部としてが南北朝時代までで、寺としては室町時代以後と、時代により交代します。この廃寺青蓮寺は、数え年29歳で、西暦1382年の第3次小山義政の乱で亡くなった、奈良県ゆかりの(見立て)中将姫、栃木県の宇都宮家の京都府京都市出身の人、小山よし姫を祭る寺。
更に天神町には、奈良時代ゆかりの、弓削道鏡開祖の持宝寺があり、その他小山市市内には、奈良県の酒屋と関連した歴史のある酒屋「若駒酒造」(柏瀬家)および、奈良県発祥とされる、下野人形(しもつけひとがた)の伝統工芸が有ります。と、このように栃木県小山市には、ずらりと奈良県が並ぶんですね。たぶん、廃寺小山市神鳥谷青蓮寺の江戸時代の和尚さんの先祖が、平安時代から将棋差しの居た、奈良県の興福寺近くの氏族と、何らかの関連性があるというのが、上記現象のすべてと関連。彼によって、どうやら「裏金一文字角行駒」が作成され、小山市の職員、秋山隆雄(文化振興課)氏によって、それが最近発掘された。以上のような経緯があるように、私には思えます。
長さん (金曜日, 26 9月 2014 11:36)
下記点を補充しないと、本文の高見研究室の奈良県の興福寺近郊での、啓蒙活動の、「神がかり」性の根拠が不明ですね。
廃寺小山市神鳥谷青蓮寺の江戸時代の和尚さんの先祖と、平安時代から将棋差しの居た、奈良県の興福寺近くの氏族との何らかの関連性とは、恐らく姻戚関係です。姻戚関係は、和尚さん先祖の元々の住居、茨城県石岡市から奈良県への一時避難の移動(戦敗による敗走。後に小山氏隆盛により関東へ復帰)のあった南北朝時代。南北朝時代に、後の小山市の神鳥谷青蓮寺の江戸時代の和尚さんの先祖は、奈良の興福寺近郊で大方、自分の配偶者の親類が、いろいろなタイプの将棋を指す姿でも見たんでしょうね。それで本文の奈良県の興福寺付近での摩訶大将棋の普及活動は、まるで南北朝時代の再現のようであり、神がかりに近いと私見されるというわけです。
T_T (土曜日, 27 9月 2014 23:06)
長さんへ
コメントありがとうございます!
神がかりと言えばそう言えるのかも知れません。小山市と奈良の関係は私は何も知りませんが、小山市の神鳥谷曲輪の遺跡から出土した角行の駒が、どうも摩訶大将棋の駒らしいということ、そのことを長さんからのコメントで知ったことなどもそのひとつです。
それと、現在の下野人形(しもつけひとがた)は、いわゆる人形(にんぎょう)なわけですが、それが、もし、かつては、陰陽道の人形(ひとがた)のような形状だったとすれば、完全に神がかりに違いないでしょう。その場合は、古代の小山市の歴史をすぐ調べてみたくなります。
実は、まだ、投稿していませんが、将棋の駒の五角形は、陰陽道の人形(ひとがた)の顔の部分の五角形が、駒の形の起源ではないのかとずっと考えています。駒の五角形の理由は、まだ誰も答えていません。敵味方の区別可能、持ちやすい等々、いろいろと挙げられているわけですが、そもそもなぜ本来的に五角形なのか、五角形であるべくして五角形に決められた理由は、どの本にも記事にないはずです。
将棋が陰陽道由来だとすれば、駒の形状にも陰陽道に関連する何かがあるわけで、それを、人形(ひとがた)に求めた次第です。この件、あと1点関連する何かがあったときに、投稿いたします。
T_T (土曜日, 27 9月 2014 23:30)
1点、書き忘れました。
私の知る限りでは、摩訶大将棋を将棋盤で指されているのは、研究室関連やイベントでお会いした方以外では、長さんだけだと思っていました。が、今回の10月のイベントに、摩訶大将棋を指されている方(または、指されていた方)とお会いすることになっています。駒も盤もお持ちだということで、私よりももっと以前から指されていたかも知れません。
我々はひとりではなかった! We are not alone. スピルバーグの未知との遭遇のような感じです。何から話しましょう。何から聞けばいいのか。時間があれば、是非対局もと思っています。
長さん (月曜日, 29 9月 2014 11:56)
下野人形は、奈良県より栃木県小山市へ伝承ですが、言い伝えでは個人としての「弓削道鏡が伝えた」事になっています。ただ、天神町の持宝寺が「室町時代の奈良県の寺院関係者の助成もあった中興」とされている事から、持宝寺も、その末寺の(廃尼寺)青蓮寺も、その孫別当神社の天神町天満宮も、下野人形も全部、少なくとも「奈良の寺社関係者」の絡んだ創建・伝来と、考えて良いと個人的には思っています。
長さん (月曜日, 29 9月 2014 14:44)
↑で、「奈良県が関連する」のは、足利持氏の指揮で持宝寺が創建したからです。そして彼ほどの、時の為政者の指示が有って初めて、創建の為手下として動くと見られる、室町幕府の中枢と係る寺社は、実際には奈良では無くて京都の寺です。よって、下のように訂正します。
誤り:天神町の持宝寺が「室町時代の奈良県の寺院関係者の助成もあった中興」とされている事から・・
正しい:天神町の持宝寺が「もともと奈良の興福寺の庇護を受けて成長した、大和猿楽(能)の世阿弥と、謡曲の桜川等にて繋がりのある、足利持氏の指令や、室町幕府の菩提寺寺(等持寺? 当方がうる覚え)の寺社関係者(京都)の助成もあった中興」とされている事から・・