前稿174)では、左右対称の歩き駒の全パターンを並べ、そのほぼすべてが摩訶大将棋の歩き駒に使われていることを示しました。本稿では、同じことを、走り駒と踊り駒について示します。実は、走り駒でも、踊り駒でも、実用上のほぼ全パターンが、摩訶大将棋の中に含まれているのです。
前稿でも指摘しましたが、摩訶大将棋の駒の動きに欠落したパターンがほとんどないということは、摩訶大将棋が大型将棋の起点となる将棋だったということを意味しています。これは、駒の名前と動きが、原則的には、一対一対応であっただろうということからの帰結です。
この一対一対応は、新しく将棋を作る際の制約となったでしょう。つまり、先行する将棋の中から、ある駒の動きをそのままで取り入れたければ、同時にその名前も使わないといけないからです。摩訶大将棋と大大将棋を見る限り、それぞれの将棋には、ともかくも、制作者の持つ将棋の世界観が含まれることは確かです。ですので、名前は重要なゲーム要素となったでしょう。もし、名前を自由に使いたいなら、動きの方を変更せざるを得なかったというわけです。
たとえば、大大将棋では、土将や盲虎という名前の駒は使いたくなかったのでしょう。だから、大大将棋には、前後に歩く駒、前以外の7目に歩く駒がないのです。ところが、摩訶大将棋にはほぼすべての動きの駒があります。摩訶大将棋が作られた当時、先行する大型将棋はなかったということではないのでしょうか。だからこそ、動きのパターンをほぼ網羅する将棋ができ上がったわけです。
古文書には現れていない大型将棋、まだ見ぬ大型将棋の存在を、私はこれまで否定していませんでしたが、前稿と本稿でも示しますように、その存在の可能性は、だいぶ小さくなったと考えています。摩訶大将棋に先行する別種の将棋があったのだとすれば、摩訶大将棋は今のように動きを網羅することはできなかったでしょう。あるいは、今のように思う存分に駒の名前を付けることはできなかったでしょう。
前置きが長くなりましたが、以下、本題です。図1と図2に走り駒のパターン一覧、踊り駒のパターン一覧を示しました。
図1は、左右対称の走り駒の主要パターンです。前稿の図1と同様、摩訶大将棋の駒名を添えています。走り駒の全パターンは、歩き駒の全パターンと同数ですから、左右対称パターンで意味を持つものは24パターンあるわけですが、走り駒の場合、煩雑な走りパターンを作るのはゲーム性からは全く効果的ではありません。敵の走り駒の利き筋を読む面倒さが、将棋としての面白さをなくしてしまうからです。
ですので、走り駒として採用できるパターンは、図1に示したものが、ほぼ全部と考えていいのではないでしょうか。つまり、縦と横に走るか、ななめに走るかというだけの単純さです。ななめ前だけに走る駒があってもいいでしょうが、摩訶大将棋にはこの動きはありません。また、歩きと走りの混合パターンでは、別の歩きパターンも多少追加できるでしょうが、些細な点です。図1を見ますと、摩訶大将棋では、歩き駒だけでなく走り駒においても、ほぼ全部のパターンを網羅していることがわかります。
図2は、左右対称の踊り駒の主要パターンです。上に同じく、それぞれの動きをする摩訶大将棋の駒名を入れました。添え字のないパターンは使われていないパターンです。踊り駒のパターンも、現実的には、この程度の数が妥当でしょう。大大将棋の場合は、歩き駒の種類を減らさざるを得ないため、その分だけ、走り駒、踊り駒、歩き駒の混合パターンを新規追加したのでしょう。
本稿、このあたりで一旦置きます。長くなります。別稿にて、ここの図を引用することにします。駒の由来に関する話題は、結局のところ、すべて空想になりますので、ほとんど意味を持ちません。そう考えると、キーボードのタイピングが重くなります。
最後1点だけを。原初の大型将棋では、駒の動きは、歩き、踊り、走りの3種だったと考えています。桂馬のように越す駒はなかったでしょう。それは、図2を見れば、わかるのです。わかるのですというよりは、直観できますと言った方が適切かも知れません。踊り駒が並ぶ図2を見て、桂馬だけが越す駒、桂馬は桂馬、現代将棋の桂馬の動きなのだと果たして思えるでしょうか。こういう尋ね方は、これまでにしたことがありませんが、次の研究会のときに皆さんに聞いてみることにします。この図を見れば、象棊纂圖部類抄の朱色の点を見なくても、桂馬の着地点は斜め前2目、前方だけに動く飛龍だと、すぐそう直観できそうな気にもなるのです。