前稿177)からの続きです。前稿では、摩訶大将棋と大大将棋に十二支の駒が組み込まれていることを確認しました。駒の構成がかなり異なる2つの大型将棋の両方に、十二支の駒があるということは、もちろん偶然ではありません。将棋の背景に、十二支を必要とする何かがあったからです。古代日本の大型将棋は単なるボードゲームではなかったのでしょう。だからこそ、天皇が将棋の駒を使って占いをした云々という記述が、古文書に現れたりします。
ところで、摩訶大将棋と大大将棋には、天皇に関係する駒の配置が見られるのです。本稿、主にこの件について書きます。図1と図2は、2つの将棋の初期配置ですが、中央の玉将の列に注目下さい。
摩訶大将棋については、本ブログでこれまで何度か投稿していますように(たとえば、投稿168のパネル画像を参照下さい)、玉将の列を天皇の行幸と見た場合、中央の列は、行列の前を狛犬舞と師子舞が舞う様子ということになります。このように、師子と狛犬の駒は縦に並ぶのです。師子と狛犬を宮殿の守護像と見る場合は、師子と狛犬の駒は横に並ばなければなりません。また、狛犬舞が現れていることから、摩訶大将棋の成立時期は平安時代だったという可能性も見えてきます。
次に大大将棋(図2)の方ですが、やはり、中央の列が儀礼と関係しているように見えます。まず、次のpdfファイル(文安御即位調度図)をご覧下さい。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa03/wa03_06749/wa03_06749.pdf
これは室町時代の写本ですが、この写本の内容が反映されているのは、平安時代後半、12世紀だそうです。古代の儀式で使用されたいろいろな儀仗をこの図で見ることができます。さて、以下、根拠のない大雑把な話ではありますので、感覚的に書きますが、大大将棋の中央の駒が、上記のpdfに描かれている儀仗を表現していると見ることはできないでしょうか。天皇(玉将)の前に、前旗、金翅、大龍と並んでいますが、いかがでしょう。特に、深い意味もなく、そう思うかそう思わないかというだけの話しになっていまして、すいませんが。
ともあれ、天皇に関係する古代の儀式のイメージが盤面に表現されたものと見るかどうかは、各人の思い込み次第でしょう。仮に、大大将棋を本稿のような思い込みでもって眺めたとすれば、大大将棋の作者が誰なのかということも浮かび上がってきます。この件は、また後日の投稿にて。
コメントをお書きください