仲人については、以前の投稿116)、140)、169)、170)にて書いていますが、TGS2016に向けて、もう一度本稿でまとめてみようと思います。これらの内容は、今年になってからも3つの学会で発表し、異論はなく概ね受け入れられている考え方です。
ところで、摩訶大将棋の復刻の説明は、どの場合でもそうなのですが、これまでの通説は間違っていますということの説明でもあります。ですので、どこが違うのかという点からスタートする方がわかりやすいでしょう。仲人の駒は中将棋(12×12マス)、大将棋(15×15マス)、摩訶大将棋(19×19マス)のいずれにも含まれる駒で、前後に1目だけ動く駒とされてきました。ほとんどの古文書にそう書かれていますし、そもそも遊戯自体として現代にまで伝わっている中将棋の仲人がそのように動くのですから、疑いようもありません。駒の名前が同じであれば、駒の動きも同じであるというのが将棋の原則、中将棋がそうであれば、大将棋や摩訶大将棋の仲人もそのように動くのです。
しかし、実際はそうではなく、仲人の動きは、中将棋と大将棋/摩訶大将棋では違っています。この点は、上記の投稿にて詳細していますので、そちらを参照いただくとして、以下、考えの流れのみまとめてみます。
ところで、この議論には、大型将棋の成立順が関係しています。この件も、本ブログでたびたび取り上げていますが、話を煩雑にしないため、まず大将棋と中将棋の仲人だけに絞ります。この2つの将棋の成立順については、大将棋が先に成立し、中将棋が後世にできたということで、通常、議論の余地はありません。なお、この成立順は仲人の動きの復刻とはほとんど関係しませんが、成立順も念頭に置けば、さらに納得しやすいでしょう。では、この続き、長いですが、すぐ下のリンクを。
解読すべき古文書は、象棊纂圖部類抄(東京都立図書館)です。象戯圖(水無瀬神宮)を使っても同じです。結論を先に書きますと、「仲人は前後だけでなく左右にも1目動く」ということです。もちろん、古文書の中に、このことは(左右にも動くということは)どこにも書かれていません。書かれていないことを読み取るのが古文書解読の面白さです。
古文書の記述は次のとおりです。中将棋の図面の後ろ、中将棋の駒の動きを注釈している箇所です。
仲人不行傍・・・(中略)・・・或説曰・・・(中略)・・・鳳凰仲人等行度如大将棋
仲人、傍ら(かたわら)に行かず。つまり、仲人は横には動かない(=傍らに行かない)と書いてあります。傍らに行かないと書いてあるのは、本来ならば、傍らに行くという意味です。仲人は横に行かない、だから、そのとおり、横に行かないと書いた、というのではありません。中将棋には、動きのもっと複雑な駒がたくさんあります。注釈を入れるとすれば、仲人のような単純な駒を取り上げるようなことはしなかったでしょう。この箇所は、中将棋の駒の動きで注意すべき点のみ取り上げたものと解釈すべきです。(仲人は、これまで横に動くことができましたが、中将棋では横に動くことができませんので、注意して下さい、というふうに解読します。)
古文書はその後、或る説曰くと続きます。或る説によれば、鳳凰や仲人の動きは大将棋と同じである、と書いてあります。中将棋では、仲人は横には行かないけれども、或る説によれば、大将棋と同じように、横に行くというルールの場合もあるということです。
つまり、中将棋になって、仲人の動きが変更されたわけです。もともと大将棋にあった仲人の動き(前後左右に動く)が、中将棋では変わってしまいました(横には動かない)。ただし、一部では、まだ大将棋の動きのままということもあったのでしょう。この注釈が書かれたのは、中将棋が確立していなかった頃のことです。つまり、中将棋の黎明期。それが、写本の奥書からは、遅くとも1443年です。中将棋が成立した時代とよく合致しているのではないでしょうか。中将棋という語句が日記に現れ始めるのは、ほぼこの時代あたりからです。
中将棋(12マス)が大将棋(15マス)よりも後で成立したというのは、いろいろな観点から見て確実なのですが、それでもなお、中将棋が早くに成立したと主張される方もおられます。しかし、中将棋の仲人がもともとからあった仲人なら、大将棋の図面の後ろに、仲人は横に行く、という注釈が入っていたことでしょう。
以上の考え方(仲人は前後だけでなく左右にも動く)は、別の観点からも導きだすことができます。つまり、根拠はひとつだけではありません。それぞれの観点から出た結論は、全部同じ方向を向いています。これは、大将棋/摩訶大将棋の仲人の動きについてだけでなく、大型将棋の成立順についても同様です。本稿では、いちおう、本来の仲人(原初の仲人)が横に動く根拠(タイトルのみ)を列挙しておきます。詳細は、前記の投稿を参照下さい。追加すべき事項も少しありますが、またの投稿といたします。
原初の仲人が横に動く根拠:
1)象棊纂圖部類抄の中将棋の図面の後ろの注釈 <-- 本稿の内容です。
2)普通唱導集:大将棋の箇所、「仲人嗔猪之合腹」の説明 <-- 仲人が横に動くからこそ解釈可能
3)大将棋/摩訶大将棋の歩き駒の分布から <-- 前後左右に動く仲人の存在は必須です。
4)摩訶大将棋の土将の存在 <-- 仲人が前後のみの動きだと不合理
5)大将棋/摩訶大将棋の遊戯性の観点から <-- (未投稿。しかし、この点も強い根拠です。)
本稿に関連する事項は多々ありますが、長くなりますので、これも短い注釈のみ列挙しておきます。できれば、TGS2016までに別件としてまた投稿します。
a)二中歴の信頼性(注人の記述も問題ですが、それ以上に、横行の存在が。。。)
b)中将棋に前後左右に動く駒がない点(初期の時代の将棋でないことは、この点からも明らかです。)
c)大将棋の成り駒について(大将棋の図面の後ろの記述も変更箇所のみのようです。したがって、大将棋にも奔駒があったと解釈するのが妥当です。)
d)象戯圖:摩訶大将棋の仲人の朱点(この図がなくても本稿の件成立です。ただ、
このページに記載の「猛豹博士」が重要。)
e)麒麟と鳳凰が踊り駒であること(本来の仲人が横に動くなら、本来の鳳凰も
踊り駒ということになります。踊らない鳳凰や麒麟は15世紀になって出てきたものと
思われます。)
いったんこのあたりで置きます。上記のa)〜e)の中では、c)が大きな話題です。
仲人の話題が終われば、次の投稿はこの点を書きます。本稿関連であと1点、ペルシアの将棋Shatranjの仲人のことは書いておかないといけません。