摩訶大将棋/大将棋では、鳳凰と麒麟は踊り駒です。この2駒が踊り駒だということは、象棊纂圖部類抄の解読から得られたもので、摩訶大将棋の復刻中ベスト5に入ると言えるでしょう。試験対局を経て、対局会では2年ほど前から採用していたと思います。飛龍や夜叉が踊りであるのに、格上の名前を持つ鳳凰が踊りではないというのは、明らかにおかしいわけですから。同様に、猛牛より格上の麒麟も、当然踊り駒であるべきです。
中将棋にも鳳凰と麒麟の駒がありますが、中将棋の方は、ジャンプするだけで踊りの機能はありません。もちろん、この動き方もこれで正しいわけです。
ところで、駒の名前が同じなら動きも同じであるというのが将棋の原則ですが、鳳凰と麒麟の場合、この原則からは外れます。最近の投稿193)で仲人の駒の動きが、中将棋の成立当初で変わったということを説明しましたが、鳳凰と麒麟も、このときの理由とほぼ同じ理由で、もともとの動きから変わったようです。象棊纂圖部類抄では、或説曰(或る説曰く)という言い方を用いており、中将棋の成立当初では、2つの動き方が採用されていたものと思われます。
少し脱線しますが、13世紀後半の鳳凰の駒が鶴岡八幡宮から出土しています。裏は奔王です。しかし、これだけの情報では、この駒が踊ったのか踊らなかったのかは不明です。ただ、少なくとも13世紀後半には、大将棋が成立していたことが確実となります。したがって、摩訶大将棋も成立していたのです。中将棋が成立していたかどうかは、これだけでは結論できませんが、中将棋という単語が日記等に現れ出すのは、15世紀前半まで待たねばなりません。中将棋は13世紀にはまだ存在しなかった可能性が高く、鶴岡八幡宮の鳳凰の駒は、たぶん「踊っていた」と思われます。
本ブログでは、摩訶大将棋を大型将棋の起源近くにある将棋として、将棋史のグランドデザインを描いています。文献や出土駒は、そうしたグランドデザインの正否を検証するものですが、上記の鳳凰の駒は、本ブログのシナリオに全く抵触しません。もし大将棋も摩訶大将棋も13世紀後半にはなかったというシナリオだったならば、それは完全にNG、間違いが確定するわけです。
象棊纂圖部類抄の解読については、以下のリンクに書きます。興味ございましたらご一読のほど。
さて、中将棋の図の後の注釈には、次のように書かれています(関係箇所だけを抜き書き)。ほぼ同じ箇所は、投稿193)でも使っています。古文書の該当部分の写真は投稿120)にありますのでご確認下さい。
或説云・・(中略)・・・ 鳳凰仲人等行度如大象戯
「ある説曰く」というのは、その説が現状の説とは違うということが前提になければなりません。ですので、「ある説曰く」という文言だけで、動き方は2種類あったことがわかります。
ある説では、鳳凰と仲人の動きは、中将棋と大将棋で同じだと言います(行度如大象戯)。
しかし、たいていの場合、そうではなくて、動きは大将棋と中将棋で違うのです。
仲人については、投稿193)にて説明ずみですが、これと同じ論理で、鳳凰の動きも違うらしいことがわかるのですが、どう違うのか? このヒントは古文書の同じ箇所、2行右側に次のとおり書かれています。
鳳凰飛角 不如飛竜(鳳凰角に飛ぶ 飛龍の如くにはあらず)
中将棋での鳳凰は、ななめ方向の1目をジャンプして2目に着地します。
この説明が「鳳凰飛角」、続いて、飛龍のようではない、と書かれています。
ところで、飛龍は踊り駒です。ななめ方向2目の位置にジャンプするのですが、
つまり、鳳凰と同じ着地点なわけです。
まとめますと、次のとおりです。
大将棋の飛龍の着地点は斜め2目の位置、そして、踊り駒です。
中将棋の鳳凰の着地点は斜め2目の位置、しかし、踊りません。
だから、「不如飛竜」なのです。
ところで、こんな明らかなことを、わざわざ書く必要があるのでしょうか。取り立てて書く必要はないはずです。注釈として書くのならば、もっと動きの複雑な駒について書くべきでしょう。鳳凰を取り上げた意味は、仲人を取り上げて「横に行かない」とわざわざ書いたのと全く同じ意味合いを持ちます。鳳凰は飛龍とは同じでないと注意を促しているのは、逆に言えば、鳳凰の動きは飛龍と同じ場合があるので、注意しなさいということです。
こうした点が、はじめに示した「或説云・・・鳳凰仲人等行度如大象戯」の解釈につながります。ある説では、中将棋の鳳凰の動きは、大将棋の鳳凰の動きと同じである。つまり、ふつうは、違うのです。大将棋の鳳凰は、飛龍と同じで、踊る駒なのです。
いかがでしょう。このようにして、鳳凰は、大将棋では、踊り駒だったことがわかります。麒麟についても、同様で、大将棋の麒麟は踊り駒だったのです。「鳳凰仲人等」の等は、麒麟を書かなかったことによります。等の字を使わないとすれば、鳳凰仲人麒麟行度如大象戯ということです。この3駒以外では、動きの変更があったかも知れない候補は、師子です。師子が、「等」の部分に含まれることは十分にあり得ます。この件、話題が違いますのでまた後日の投稿とします。
冒頭でも書いたことですが、麒麟の動きが大将棋と中将棋で同じ、つまり、麒麟は踊り駒でないとお考えなら、麒麟と猛牛をどうぞ天秤させてみて下さい。猛牛は踊り駒です。麒麟は踊りではないかわり、ななめにも行ける。さて、この程度の違いで、霊獣の麒麟が我慢できるのかということです。
理論将棋史学と合わせて実験将棋史学にも関わっている方は、十分にご存知のはずです。これまでの大将棋の踊らない麒麟に、ずっと違和感を覚えておられたことでしょう。是非、霊獣麒麟の真の動きを試してみて下さい。その上で、大将棋の麒麟は踊りませんね、という人がいるとしたら、私はその方とは一切大型将棋は指さないでしょう。また、その方と将棋史の話をするのもあきらめます。