215)大型将棋の成立順:考古学からの検証

大型将棋の成立順については、本ブログの投稿では、ほぼ全部が文献学、歴史学の観点からの考察となっています。しかし、得られた結論は、考古学の知見と照らし合わせても矛盾はありません。この点、一度まとめておかないといけませんので、本稿、これをテーマに書きます。物理学で言えば、理論を実験で検証するというプロセスです。

 

本ブログで得られた最重要の帰結は、摩訶大将棋が薬師信仰に基づく呪術としての将棋であるということです(※1)。だとすれば、摩訶大将棋は、天皇あるいは上皇の薬師悔過の際に用いられた将棋である可能性が高いと考えます(※2)。これらの結論は、ここまでの投稿にて何度も議論されてきたとおり、将棋の駒の名称や配置、機能によく現れています。また、薬師信仰が将棋の中にきちんと反映されていること自体、摩訶大将棋が起源の古い将棋であることを示していると言えるでしょう(※3)。

 

以上のことを前提にすれば、平安将棋や平安大将棋も、摩訶大将棋よりも後に作られた将棋であると考えるのが非常に自然です。私自身も当初は、そういうことを予期してはいなかったのですが、投稿212)で列挙したキラークエッションは、いつも疑問点として残っていました。それらのキラークエッションは、従来のどの説からも答えを導くことはできませんが、摩訶大将棋を日本将棋の起源と考えたときには、ほぼ説明がついてしまいます。この際、各クエッションに対して個別に、別個な考え方から答えが出せるのではなく、全部に統一的に、ひとつの仮説だけから答えを提示できるという点に注目して下さい。

 

金将や銀将が変な動きのルールをもつ理由と、金将銀将の由来は、同じところから来ています。それどころか、最古の出土駒の中に酔象が存在すること、桂馬や香車の由来、歩兵が3列目に並ぶこと、成りのルールの理由等、やはりすべて同じところから説明可能です。これ以外にも、いろいろな点が、すべて同じ結論(=摩訶大将棋が最初の将棋であるということ)へと向かうため、本ブログの考え方でたぶんいいのだろうという気がしています。賛同していただける方も増えてきました。一方で、答えに窮する反論はまだひとつもありません。

 

前置きが長くなりました。本題ですが、考古学からの検証としては、まず、鶴岡八幡宮の出土駒を挙げねばなりません。この出土駒については、ほぼ3年前の投稿になりますが、投稿56と投稿61(摩訶大将棋のブログ_02)にて話題にしています。当時の投稿は、ある点は正しくある点は間違っています。本ブログは、研究室で摩訶大将棋をテーマにした最初のときから書いていますので、後から読み返せば、はじめの頃は単純な間違いも多いのですが、古文書の解読で1点づつ掘り起こすたびに、正しい方向へと軌道修正されています。大筋はあまり変わっていません。

 

※1)薬師如来の駒、十二神将の駒、供養の駒、呪術関連の駒の存在からです。

※2)天変地異の鎮圧を祈願する将棋ということになります。

※3)阿弥陀信仰が広まる9世紀後半までに成立した可能性大です。

 

すいません。少し長くなりすぎましたので、また明日、続きを書きます。

 

(2017.05.20 23:30)