本稿は、前稿の「摩訶大将棋にある4つの如来の駒」の続きとなります。また、「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その3」でもあります。
前稿の最後の方で、摩訶大将棋の十二神将の駒の本地仏として4つの如来の駒を紹介しましたが、右の表に十二神将の駒と本地仏の対応を示しました。丑・卯・午・未の駒の欄を空けていますが、これは、十二支の駒をどのように見るかで異なるからです。投稿201)のA)とC)で示したとおり、十二支の駒のグループとして、次の2つの候補を挙げることができるでしょう。青文字の駒は、摩訶大将棋から大将棋が作られたとき、落とされずに残った駒です。
A)老鼠・猛牛・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・桂馬・(未)・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪
C)老鼠・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪・猛豹・酔象・猫又
A、Cいずれのグループにせよ、3つの如来の駒、阿弥陀如来(盲虎)、大日如来(悪狼)、釈迦如来(嗔猪)は大将棋に全部残っています。ここで、さらに、大将棋から平安大将棋が作られた、また、大将棋から中将棋も作られたものとして考えを進めてみましょう。このとき、摩訶大将棋にあった十二支の駒はさらに落とされ少なくなります。十二支の駒のうち、平安大将棋、中将棋まで残るのは次の駒です。
A)の場合 平安大将棋まで残る駒:盲虎・桂馬 中将棋まで残る駒:盲虎
C)の場合 平安大将棋まで残る駒:盲虎 中将棋まで残る駒:盲虎・猛豹・酔象
このように、摩訶大将棋の盲虎、つまり、阿弥陀如来の駒は最後まで残ることになります。阿弥陀如来の駒が将棋が変わっても残り続けることは、しかし、とても納得がいくことではあります。
摩訶大将棋は薬師如来の将棋とも言えますが(この件、近々に詳細投稿します)、薬師如来の信仰は、平安時代の中頃から、阿弥陀如来の信仰へと変わっていきます。摩訶大将棋の十二神将がどんどんとなくなる一方で、阿弥陀如来が残るのはこのような現れとみることもできるのです。
平安大将棋の盲虎をこうした視点から見直してみるのはいかがでしょう。ところで、本稿とは逆に、平安大将棋が大型将棋の出発点だったとすれば(通説はこの考え方です)、平安将棋をもとに平安大将棋が作られたとき、盲虎の追加をどのように説明できるのでしょう。なお、本稿では、平安大将棋の猛虎を盲虎としています。
同じようなことは、桂馬や香車についても言えます。平安将棋が将棋の起源だったとすれば、桂馬や香車はどのような意味をもつのでしょうか。玉将、金将、銀将についてもそうですが、桂馬と香車がなぜ将棋の駒にあるのかという納得のいく説明は、これまで、なされたことがありません。
ところが、摩訶大将棋から、将棋が次第に小さくなっていったとすれば、桂馬と香車の意味は明解です。次稿は、この件について書きます。
( 2017.02.06 22:50 )