「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その4」となります。本稿、桂馬と香車の意味について議論しますが、これが、古代の将棋の成立順と関係しています。
桂馬と香車は、どういう意図から、将棋の駒になったのでしょうか。桂馬の桂は肉桂(ニッキ)のことで、香車の香(お香)と結びつくのだとして、当時、香料は金銀と同様、貴重品だったからというのが一般的な説明です。しかし、この問いの答えは、平安将棋(最下段は現代の将棋と同じ)だけを見ている限り見つけることはできません。
桂馬と香車の2駒が導入されたのは、平安将棋が作られたときではなく、実は、摩訶大将棋が作られたときだったようです。そう考えれば、桂馬と香車の意味を説明することができます。つまり、摩訶大将棋がはじめに作られ、後になってできた平安将棋に、その桂馬と香車が受け継がれているという考え方からの帰結です(本ブログでは、摩訶大将棋から大将棋、平安大将棋を経て平安将棋が作られていると考えています)。
以下に、摩訶大将棋の初期配置を示しました。摩訶大将棋の玉将は「薬師如来の駒」でもあります。摩訶大将棋のブログを、今ここではじめて読まれている方がいれば、これを聞いてどう思われていることか。ただし、薬師如来の根拠は、以下のとおり、結構いくつもあって、さほど荒唐無稽な話しでもありません。
玉将が薬師如来の駒である根拠を、以下に概略しました(詳細はまた後日に)。
1:玉将の上に、狛犬と師子が縦に並んでいるが、狛犬像と師子像ならば左右に並ぶべきである。したがって、この狛犬と師子は、狛犬舞、師子舞とみるべきである。つまり、中央の列は、玉将を天皇に見立てた行列であり、行列の先頭には、道祓いとして狛犬舞と師子舞が舞っている。当時、天皇は薬師如来とされていた。薬師如来は、東方の瑠璃光浄土の教主であり、天皇も、日出る処の(東方の)天子であることによる。
2:玉将の玉は、薬師瑠璃光如来(=薬師如来)の瑠璃(=玉)に由来する。
3:玉将(薬師如来)のまわりには、十二支(十二神将)の駒がある。薬師如来を十二神将が守護している形。
4:玉将の左右に提婆(デーヴァ[deva]=輝くものの意)と無明(月に相当)。つまり、薬師如来の脇侍として日光菩薩と月光菩薩。
5:摩訶大将棋には、薬師如来への供養となる駒がいくつも並んでいる。
さて、上の5についてですが、薬師経には、薬師如来への供養として、次の供養が挙げられています。
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華香・塗香・抹香・焼香・花鬘(けまん)・瓔珞(ようらく)・旙蓋(ばんがい)・伎楽
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ここで、瓔珞は珠玉、貴金属を編み合わせた装身具のことです。旙蓋は、旗を意味します。
上図では、青色が供養の駒に相当しています。具体的には、次のとおりです。
香: 桂馬・香車
瓔珞:金将・銀将
旙蓋:仲人(詳細は近日中に)
伎楽:羅刹・力士・狛犬・金剛・夜叉・麒麟・師子・鳳凰(伎楽面の名称を持つ踊り駒です)
このように、多くの供養の駒が摩訶大将棋には並んでいます。桂馬と香車は薬師如来への供養ということでいいのではないでしょうか。
(2017/02/08 03:25)