前稿208)の続きとなります。
地理の駒という言葉を使いましたが、これは、象戯圖の序文の次の記述からです。
下象其形於地理列以金銀鉄石之名
(下は其の形を地理にかたどって、列するに金銀鉄石の名を以ってす)
地理の駒というよりも、地面の駒という方がわかりやすいかも知れませんが、象戯圖の序文では、天文の駒(十二支の駒)と地理の駒(金銀銅鉄・・の駒)が対になっていますので、地理の駒としておきます。
いずれにせよ、この地面の駒が、地面の揺れを鎮める呪力を持つものとして、摩訶大将棋に並んだのではないでしょうか。ところで、将棋の成立順を考える際、摩訶大将棋-->大将棋では、始めは揃っていた十二支の駒が、駒が取り除かれた結果として大将棋(十二支の一部だけがある)ができたと考えたわけです。この件、本ブログではいろいろなところで書いていますが、たとえば、投稿177)、投稿152)あたりをご参照下さい。
本稿でも同様の考え方を適用することができます。金銀銅鉄・・の駒がきちんと並んだ将棋から、地理の駒が順次落とされていき、最終的に金と銀だけが残ったと見ました。この逆を考えるのはかなり不自然な感じとなります。つまり、はじめに、財宝としての金と銀の駒があった。そのあと、地理の駒が順次追加され、金銀銅鉄瓦石土と揃う。十二支の駒のときもそうですが、意図された駒のグループは始めからそのグループとして存在していたのであって、いろいろと追加された結果、揃うというものではないでしょう。
さて、この帰結は、地理の駒という観点からではなく、実は、別の考え方からも辿りつくことができます。手がかりは、駒の動きです。この件については「続きを読む」をクリックして下さい。
(2017.03.16 23:20)
以下、補足となります。
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駒の動きを見る限り、平安将棋(=現代将棋から飛車と角行を抜いた将棋)は伝来当初の将棋ではない可能性の方が高いでしょう。それは、金将、銀将、桂馬、香車の動きが、基本的な動きではないことから推測できるものです。
シャトランジ(ペルシア)、チェス(ヨーロッパ)、シャンチー(中国)等、世界の将棋類のほとんどで、駒の動きは、左右対称かつ前後にも対称となっています(歩兵相当の駒(たとえば、pawn)を除いてです)。これは、大型シャトランジや大型チェスにおいてもそうです。ところが、将棋の金・銀・桂・香は、前後対称の動きとはなっていません。これは、将棋が伝来したものだとしても、日本で新しく作られたものだとしても奇妙です。特に問題な点は、ななめだけに動く駒(猫又の動きに相当)や、前後左右にだけ動く駒(仲人の動きに相当)がないという点です。将棋という新しいボードゲームを作ろうとしたとき、このような基本的な動きを採用しないのは不自然ではないでしょうか。
とは言え、金将、銀将の駒は平安大将棋にあるわけです。これをどのように考えればよいかですが、もともとの将棋にはもっと多数の駒があり(もちろん、基本的な動きの駒は含まれています)、金将、銀将はその多数の駒の一部だったと考えるのです。将棋の進化につれ、駒が少なくなって、平安将棋ができたというシナリオです。