214)洪水の発生と古代の将棋

日本将棋の起源には諸説があり、まだ結論には到っていません。もちろん、本ブログの説も諸説の中のひとつであるわけですが、個人的には、この説の方向で大きな間違いはないだろうと考えています。

 

つまり、二中歴の平安将棋以前に、すでに大型将棋(摩訶大将棋、または摩訶大将棋に類似の将棋)が存在していたという考え方です。この考え方の根本には、

 1)玉将は薬師如来

 2)大型将棋の対局は遊戯神通

という2点が大きな位置を占めています。古代の将棋が薬師信仰に基づく呪術であると同時に遊戯でもあったということ。本ブログの説の可否は、これを受け入れるかどうかだけです。

 

投稿212)にて、将棋の起源に関するキラークエッションのいくつかを挙げましたが、関連していくつかの問い合わせをいただきました。去年の秋の東京ゲームショウでの問い合わせにも返事を出せていない状況ですので、きちんと返信はできていないのですが、いただきましたご意見は議論の開始点が大きく違っているように思います、というのが感想です。

 

大型将棋を考慮しない議論の中で、はたして日本将棋の起源考・伝来考があり得るのだろうかという点が、まずあります。また、古代の将棋を遊戯としてだけ捉えて、遊戯の観点だけから古代将棋史の議論を進めていくのも問題だろうと考えます。

 

さて、明月記の将棋の記述箇所(正治元年五月)で、同じ月に京都で洪水が起こっていたこと、この件については、投稿208)や投稿210)に書きました。本稿にて、もう1点指摘しておきたく思います。実は、台記に記述されている大将棋が対局された月(康治元年九月)にも、やはり京都で大きな洪水が起こっています。この2つの将棋の対局は、後鳥羽上皇、崇徳上皇の薬師悔過であったと考えます。洪水鎮圧という薬師如来の将棋が持つ威力に頼ったことの現れでしょう。洪水と薬師悔過については、投稿210)の文献を参照下さい。

 

(2017.04.20 23:50)