217)将棋の起源に関する話題

だいぶ日が開いてしまいました。以下、書き下ろしではありませんが、投稿します。

先月の学会発表分の予稿から、一部をそのままコピーしたものです。

 

------(以下、引用です)

図1に日本の古代から中世にかけて存在した5つの将棋を示した(この他にも,大大将棋,延年大将棋等が知られている).このうち,中将棋は他の4つの将棋よりも後に成立した将棋であるというのが通説で異論もほとんど出ていない.しかしながら,残る4つの将棋については,現状,その成立順についての考え方が大きく2分している.つまり、将棋の成立順については,

 A)平安将棋→平安大将棋→大将棋→摩訶大将棋

 B)摩訶大将棋→大将棋→平安大将棋→平安将棋

という2つの説がある.Aは起源となる将棋が平安将棋であることを,Bは起源となる将棋が摩訶大将棋であることを主張する.ここでは,仮に,Aを平安将棋起源説(以下,A説),Bを摩訶大将棋起源説(以下,B説)と呼ぶことにする.我々の研究グループはB説の立場に立っており,これまでいくつかの学会発表,論文発表を重ねてきた.本稿では,対立するA説の妥当性および疑問点をまず要約した上で本論に入っていきたい.

 

平安将棋起源説の妥当性

 1)将棋のルールを記述する最古の文献,二中歴(1210年成立との推定)には,平安将棋と平安大将棋のことが記載されており,大将棋やそれより大きい将棋についての記載はない.

 2)最古の出土駒(1058年)は,旧興福寺境内からの14駒(うち2駒が駒種不明)であるが,これらは皆,平安将棋の駒である.

 3)14世紀以前に出土した駒の総数は76個(駒種不明のものを除く)であり,うち,平安将棋の駒は64個である.また,統計を取れば,駒の出現率も平安将棋の存在を明確に示している(図3参照).

 

平安将棋起源説の疑問点

 1)11世紀の旧興福寺境内からは酔象の駒が出土しているが,この駒は平安将棋にも平安大将棋にも存在しない駒である.

 2)平安将棋が将棋の起源であるとしたとき,駒の動きが不自然である.世界の他の将棋類では,原初の将棋は前後左右とも対称な単純動きをとる.

 3)駒の名称の由来が不明である.たとえば,玉将,金将,銀将は財宝を示すものである,仏教に由来するものであるという説が提起されているが,さほど説得力のあるものとは言えない.

 4)平安将棋の初期配置では,歩兵が3列目に並び,2列目には駒がない.これも上記2)と同様,世界の他の将棋類(歩兵相当駒は2列に並び,途中に空いた列はない)と比較したとき,原初の将棋としては奇異な配置である.

 5)平安将棋は勝ち負けを決める駒の名前が王(=King)ではなく,玉将である.世界の他の将棋類がKingの駒の取り合いで勝敗が決まるのとは違っている.さらに,平安将棋では,玉将を取るのではなく,玉将以外の駒をすべて取ると勝ちというルールである.

 

 以上,A説の疑問点を5点列挙したが,B説に立てば,これら5つの疑問点はすべて説明可能となる.逆に,B説に対する疑問点は,1)古い文献に,なぜ原初の将棋である摩訶大将棋の記述が現れないのか,2)古い出土駒に,なぜ摩訶大将棋の駒が含まれないのかといった点を挙げることができる.

 B説が主張される拠り所には,古代日本に存在した原初の将棋は遊戯であると同時に呪術だったという仮説がある.当時の将棋は神様に奉納される遊戯であり呪術の一種だったと見れば,いろいろな点を統一的に説明することができる.摩訶大将棋の対局は天皇の薬師悔過であり,玉将は薬師如来の象徴と捉えるべきであるというのが,現段階の結論である.将棋史と呼ぶにはあまりにも文学的な結論ではあるが,これを支持するに足る論拠は数多い[5].