225)摩訶大将棋の陰陽五行

短くですが、書きます。

摩訶大将棋が起源の将棋であること、将棋の成立順のこと(摩訶大将棋-->大将棋-->平安大将棋-->平安将棋)が、固まりつつあるわけですが、かなり長い間、1点だけ、解けずにいた疑問がありました。摩訶大将棋に含まれる陰陽五行のことです。摩訶大将棋が、古代日本の呪術である限り、十二支と同じように、陰陽五行が含まれないと、おかしいわけですが、何がそれに相当するのかというのがわからずにいました。

 

今週末、グランフロント大阪で、摩訶大将棋の展示・対局会をするのですが、ネットワーク対局版の配布と並ぶ、大きな発表はこの陰陽五行のことです。ただ、パネルが間に合うのかどうか。。。

 

いちおう、図面だけ付けておきます。いくつか歩き駒の動き(淮鶏、臥龍、無明とかです)が違うと気づく人は、20人ほどしかいない思います。ただ、動きはこれで確かです。理由は長くなりますので、後日書きます。そういう人でも、銀将の動きの方は、間違っていると言うでしょう。が、正しいと思います。この件、陰陽五行の副産物です。

 

 

図面の説明なしで、古文書の根拠もなしだと、無視する方もありそうですが、実は、文献学が発端です。上の図に陰陽五行の全部が載っているわけではないのですが、まず、一番重要なことを、書いてしまおうということで、この断片を選びました。まず、淮鶏と蟠蛇がわかりました。提婆と無明も古文書からです。銀将の動きも一部、古文書が関係しています。金と銀でペアです。これは、象と虎の動きがペア、鶏と蛇の動き、臥と猿の動きがペアなのと同じです。

 

二中歴の銀のところ、「不行左右下」を、左右と下に行かず、と読むべきではなく、ここは、左右の下に行かず、と読むのではないでしょうか(このままだと金将ですが)。もしそうだとすれば、二中歴の記述は、摩訶大将棋の陰陽五行の傍証になります。そして、誰かが、不行左右上とすべきところ、不行左右下と写本してしまったばかりに、銀将は、今ある銀の動きになってしまいました。今さら変更するわけにもいきませんが、摩訶大将棋と大将棋の銀将は、通説の臥龍の動きだったでしょう。

 

さらさらと脈絡もなく書いてしまいましたが、このままで投稿します。