239)桂馬と香車の由来:どう考えればよいか

日本における将棋の起源を平安将棋とみなした場合、いろいろな問題点があぶり出てきます。これについては、以前の投稿にて何回か取り上げてきました。たとえば、次の投稿にあります。217)将棋の起源に関する話題2017年12月1日

 

平安将棋に関する疑問点のひとつに、桂馬と香車の由来に関する問題があります。これらの駒に見られる、前後非対称な動き、弱い動きは、世界の将棋類から見ればかなり奇妙な動きなのです。他の将棋類には見当たりません。とは言え、日本で創生された独自の動きとも言い難いでしょう。

 

研究者諸氏は、この問題をどのように納得しているのかと言うと、よく知られている考え方は、「弱い駒」が伝来してきたのだろうという考え方です。たとえば、シャトランジ(古代ペルシャの将棋)には、八方桂に相当する駒、飛車に相当する駒があるのですが、もっと以前の時代には、そのような強い駒はなく、弱い駒が存在していたとするのです。その弱い駒が日本に伝来してきたのだろう、その弱い駒が桂馬(前にしか行けない八方桂)であり、香車(前にしか行けない飛車)だとするわけです。

 

そういう駒が伝来してきたのだから、桂馬や香車があっても疑問ではないとするですが、この考え方は疑問が生じる場所を日本から別の場所に移しているだけです。桂馬や香車と同じ動きをする駒が、古代世界のどこかにあったとする古文書はないからです(と言うのも、このような主張をする論文には、弱い駒が存在したという文献の引用がありません)。もともと桂馬や香車の動きをする駒があった、そう考えることにしましょう、だから、平安将棋に桂馬や香車の動きがあっても問題ない、こういう論理です。

 

上の論理がひとつの説だとすれば、以下の説は、もっと有力な説と言えるでしょう。平安将棋ができる以前に摩訶大将棋があった(摩訶大将棋起源説)ことを前提に考えれば、問題はなくなります。

 

摩訶大将棋が始めにあったとすれば、桂馬や香車のような弱い動きの駒は、必ず存在します。多数の駒の動きを作らないといけませんから(駒の数だけ、駒の動きが必要)、どうしても、弱い動きの駒ができてしまうことになるわけです。

 

(次の投稿で続けます)