前稿245)将棋盤と平安京の補足です。まず、唐の長安の街路と象棋(シャンチー)のことを書かねばなりません。下の方に、長安の街路と象棋の盤の対応を示しています。いかがでしょう、このきれいな対応。実は、この件、もう4年前(2014年6月)になりますが、
にて投稿しています。この頃は考察がまだあまり進んでいなかったようです。
同じ頃、平安京の碁盤目状と将棋の対応も考えていました。実際、
の発表のときに、将棋史関連の皆さんの前で、平安京の図面も見せたのですが、私含めて全員が、前稿245)の考えには行けませんでした。それは、平安京が長方形だからです。将棋盤は正方形という先入観がたぶん強すぎたのでしょう。
象棋の場合、街路と盤との対応は、河界で隔てられた部分までです。しかし、横9路と敵陣の縦5路の対応はぴったりです。また、象棋の将と士は、斜線のつけられた上部中央の領域(九宮)から出ることはできませんが、長安の宮城の領域が、ちょうど象棋の九宮に対応していることもわかります。象棋の盤は、全体で横9路、縦10路なのですが、敵陣と自陣、縦5路を、河界を隔ててつなぎ合わせたものになります。
さて、大大将棋の将棋盤と平安京の対応を、長安の図の下におきました。摩訶大将棋は、平安京の東西の端を最下段として使いますが、大大将棋では、南北の端を最下段として使っています。そう判断できる理由は、大大将棋の盤が大内裏(天皇、大臣、官僚がいる場所です)の領域を意識して使っているからです。このことは、将の駒の並び方からわかります。なぜ大大将棋だけ、将の駒が最下段にずらりと並ばなかったのか、答えは平安京にあったというわけです。また、駒は横に17枚並びますから、マス目(16マス)に置くのではなく、交点(17路)に置かねばなりません。
図では、駒を丸い形にしましたが、単にイメージです(まだ検討が必要)。天子のいる場所(宮城・大内裏)を意識している点では、象棋風と言えるでしょう。大大将棋には、東夷・西戎・南蛮・北狄といった中華思想を表す駒も含まれており、これもまた日本風ではありません。さらには、中国の向こう、ペルシアの将棋との繋がりを一番強く持つのも大大将棋なのです(この点は、また後日に)。では、大大将棋の将棋盤、一番下に置きました。