投稿253)でも書きましたが、将棋とチェスは、当初は、別系統の遊戯だったと思われます。それは成りのルールにもよく現れています。たとえば、チェスその他類似の将棋類では、歩兵相当の駒(pawn)だけが成ります。一番奥まで進んだとき、成って別の動きにしないと、歩兵は行き場がありません。つまり、成りは遊戯的な事情から来ています。
一方、摩訶大将棋では、たいていの駒が成ります。チェスでは、成りのことをpromotionと言い、強い駒に変わります。ところが、摩訶大将棋の場合、走り駒と踊り駒の成りは金将で、成れば弱くなるのです。この奇妙な成り方は、これまでは,単に将棋のルールがそうなっているだけと考えられており、成りとは何かというような原理的な問題にはなりませんでした。つまり、ボードゲームクリエイターがそのようにゲームを作ったものだと考えられていました。
本稿のタイトルの件ですが、
この成りのルールは、思想的な理由によります。将棋が陰陽五行に基づいて設計されたのは、易経や道教の呪術的部分によりますが、成りの考えは、易経や道教の思想的部分から来ているようです。易経や道教の・・、と言っていいのかどうか、私にはまだ勉強不足で、よくわかりませんが(儒教からの影響もあるのかもです)。修正あればまた投稿します。以下、多少の補足です。興味ある方は是非ご一読のほど。
成りの理由は、象戯圖の序文に書かれています。実は、この序文は、全部、摩訶大将棋のことを書いていると思っていいでしょう。序文の前半に、将棋が陰陽五行で作られていることが書かれ、序文中盤に、将棋に組み込まれた思想的部分があります。
漢文の解釈は省略し、以下、要点のみです。ざっくばらんには、次のようなことが書かれています。前に進むことは善である、それに報いますよ、退くことは悪である、罰を受けなさい。
ともあれ、摩訶大将棋の成りのルールは、次のようになります。象戯圖序文からの導出は
直接にお尋ね下さいませ。文章では長くなりますし、随の文献も参照しています。
1)歩き駒は、敵陣に入ったときに成る(ただし、例外が数件あります)。
2)走り駒と踊り駒は、敵陣に入り、その後、敵陣から出たときに(退いたときに)成る。
1)2)のルールとも、現代将棋にまで引き継がれています。特に2)のルール、敵陣から出たときに成るルールが、一部残っているのが興味深いです。
走り駒、踊り駒が成れば弱くなる(金将に成る)のは、罰ということです。金将に成るルールは、その後、摩訶大将棋から大将棋に引き継がれています(のはず)。文献上の証拠はありませんでしたが、投稿251)にて投稿のとおりです。
未だこの資料の時期ははっきりしていませんが、大将棋の駒が全部列挙された上で、飛車や猛牛の成りが金将であることが、文献資料として非常に貴重です。
なお、不成の意味するところはさらに重大です。この件、引き続き投稿します。