摩訶大将棋の陰陽五行は、将棋の原則とでもいうべきものです。物理学で言えば法則のようなものですが、学会発表したとき、文献の裏付けがはっきりしていないし・・・云々の
意見をいう方がおられました。文献にそのとおり書かれていたら、誰にでもわかる話じゃないでしょうか(とは、もちろん言いませんでした)。文献だけではわからないから面白いのでは。
とは言え、大将棋の29種類の駒名とその成り駒がきちんと書かれた古文書を見たときはうれしかったです。この文献には、小将棋(40枚)のことはあるのですが、中将棋は書かれていません。まだ中将棋がなかった頃の話です。これまでは(と言っても、この古文書はずっと前から図書館にあるものです)、普通唱導集(1300年ごろ)には小将棋大将棋があり、古往来(14世紀半ば)には小将棋中将棋大将棋がありますので、中将棋の上限は14世紀前半あたりということになります。したがって、この古文書は一番遅くても14世紀前半の成立でしょう。
とすると、小将棋の記述が結構興味深いですね。この古文書が小将棋(40枚)の上限を決めることになります。露伴が、二中歴の将棋には飛車と角が抜けていると言った話、もしかして・・・ということにも。なお、これまでは曼殊院の写本(1443年)が、小将棋の上限でした。庭訓往来にもっと具体的に書かれていたら1300年代になったわけですが。
だいぶ前の投稿になりますが、源平盛衰記(1250年ごろ)に龍馬や酔象の言葉がある、
だから、当時すでにその駒があったのだろうと書いたことがありました。
本稿で話題にしている古文書は一番新しくても、13世紀半ばぐらいでしょうか。5年前の投稿と比べると、摩訶大将棋の解明もだいぶ進んだなと思います。
本稿のタイトルの件、明日、書きます。全然話がずれてしまいました。
検証可能です。