今日5/12の新聞に亀卜の記事が出ていましたが、そこに掲載されていた亀甲の写真を見て、将棋の駒だと勘違いした人がいたのではないでしょうか。亀卜に使う亀甲は、将棋の駒の形に非常によく似ています。それは今の将棋の駒の形にではなく、平安時代の駒の形です。たとえば、旧興福寺出土の玉将、金将、銀将や中尊寺出土の飛龍の駒の形です。次の特徴に注目して下さい。
1)駒の頂角の角度
2)駒の側面に傾きがない(底角がほぼ直角)
3)駒の縦横比
将棋の駒がなぜ五角形なのかは、現状、大きな謎なわけですが、亀卜に使う亀甲の形が、将棋の駒の形のルーツだった可能性は大いにあり得るでしょう。それは、原初の将棋が、ピュアな遊戯ではなくて、呪術のツールだったことのひとつの証にもなります。亀卜は陰陽五行に基づく呪術で、使われる亀甲には、木火土金水の五行に従った横線が記されます。陰陽五行に基づいて作られている将棋が、亀卜の何らかの特徴を取り入れたとしても不自然はありません。また、天皇が亀卜から国家の重大事を占ってきたことは、天皇がどういうときに将棋を見たかということともよく対応しています。
新聞記事には、使われる亀甲が「将棋の駒に似た形」と表現されたりしているわけですが、正確に言えば、将棋の駒が「亀卜で使われる亀甲の形に似ている」ということではないかと思う次第です。
ともあれ、古代日本の将棋が遊戯だったという確証は今のところありません。一方で、将棋が呪術のツールだったということは、明月記や長秋記にいくつか見え隠れし、また、駒と陰陽五行との強い関係性、将棋盤と平安京の条坊との一致からも導くことができます。中世以降の将棋は遊戯だったことに違いありませんが、古代の将棋を遊戯という観点だけから見るスタンスには要注意でしょう。
(亀卜に使われる亀甲の写真を以下に掲載する予定です。許可が取れ次第追加します)
前稿のコメントや、直接のお問い合わせをそのままにしていますが、すいません、しばらくお待ち下さいませ。
コメントをお書きください