10月19日(土)から、徳島城博物館にて、「王手! 将棋の日本史」という特別展が開催されています。弾丸旅行でしたが、開幕日の朝一番に見に行ってきました。大橋家の未公開文書が多数展示されており大変よかったです。図録も学術的な資料集ということがたぶん意図されているようで、こちらも大変いい冊子です。将棋博物館があった頃、私はまだ将棋史とは無縁でしたので、これほど多くの将棋史関係の展示は見たことがありません。
最近はブログには研究の進展をほとんど書いていませんが、非常に進んでいます。そういう中で、今回の展示でもいくつか気づかされたことがあります。それをごく手短に覚え書きしておきます。
まず、学芸員のMさんが朝の説明会で話されていた、秀吉が、王将を大将にあらためさせようとしたという古文書の記述の件、これまで気づいていなかった新しい観点を聞かせてもらいました。「玉将」を大将にしてほしいとは一言も言っていないのだという指摘です。この意味は非常に大きいと考えます。秀吉の時代でも、玉将はなお、意識の上では天皇だったという可能性がありそうです。
そうでないとすれば、秀吉は王将(おうしょう)を大将(おおしょう)という別の字にしたかったという見方もできるでしょう。王将(おうしょう)を大将(たいしょう)に、という話は、後世の誰かが、発音を間違えたのではないかと。
ところで、私の周辺では、摩訶大将棋(まかだいしょうぎ)ではなく、摩訶大将棋(まかおおしょうぎ)です。染み付いてしまった「まかだいしょうぎ」という呼び方(間違った呼び方)は、私自身もまだふと出てしまうことがあるのですが、「まかおおしょうぎ」で確定です。以前のコメントで大大将棋の読み方を聞かれたまま、コメント欄には入れていませんが、読むとすれば、だいおおしょうぎになるでしょう(そもそも、大大将棋という名称自体、平安時代の名称ではなく、後世の可能性が大きい)。
さて、帰りのバスの中、図録を見つつ、この特別展のタイトルの「王手!」という語句は、研究室の研究内容とは、全く相容れないものなのだなあということに気づきました。摩訶大将棋に王手は存在しないからです。
いい特別展を見たあとです。だから、自分たちでも、独自のきちんとした展覧会をやってみたいと思ってしまいました。それは、ちょうど新年の1月5日に、グランフロント大阪で、摩訶大将棋展2020が決まっているということからかも知れません。
この秋、関西から徳島に特別展を見に行かれる予定の方は、是非、来年1月5日、グランフロント大阪の特別展もいかがでしょうか。「王手! 将棋の日本史」とは、全く別の観点の将棋史を紹介させていただきます。王手のない将棋が、平安時代の日本には存在したという考え方です。それは、王手のあった頃の摩訶大将棋よりも、さらに面白い将棋となっています(つまり、摩訶大将棋の解明は正しい方向に進んでいるのだろうと考えています)。この将棋も是非体験してみて下さい。
長く書きすぎて、特別展で気づかされた点、本稿ではひとつしか書けませんでした。。。
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